毎年の豪雨

7月10日昼過ぎの鴨川(四条大橋から) 1週間ほどまえのプログ「雨後の鴨川の鴨」で(適度の雨は慈雨)と書きました。しかし、そのあと、豪雨がつづいて、九州各地や長野県と岐阜県南部ではひどい災害になっています。線上降水帯という現象が毎年発生して、過去に…

雨後の鴨川の鴨

雨後の鴨川 ことしは梅雨らしい梅雨です。昨日はいちにち雨がつづきました。このところの雨で、鴨川はすこし増水しています。雨も降る時期には降ってくれないと、農作物、植物は困りますし、夏の水不足も心配です。降りすぎも困りますが、適度の雨は慈雨です…

新型コロナ禍で見えてきたこと

日本経済梅雨模様 半年前にはだれも予想もしなかった新型コロナ・ウイルス蔓延。おかげで日本国の弱点・問題点が見えてきました。それは現場力の弱さです。製造現場での検査不正や偽装品納入などが問題になったとき、うすうす「おかしいナ」と感じていたこと…

コロナの日々-鴨川河川敷

新型コロナ・ウイルスのお陰で商売は開店休業状態。健康維持のためよく鴨川の河川敷遊歩道を三条大橋から出町柳大橋まで歩きます。「遊歩道」の文字をあえて太字にしたのは、左の写真にある通り「通行してはいけない」旨の立て看板に疑問を呈するためです。…

蒸発したインバウンド-京都は静かです

写真は昨日( 5月22日 )の八坂神社・祇園さんです。5ヶ月以前の大混雑からは想像できない静かさです。インバウンドにわいたクレージーな日本があまりにも異常だったんだと実感します。ホテル旅館は満室、ゲストハウス民泊の乱立、観光地にはレンタル着物店が…

コロナの毎日-その後

緊急事態宣言により、わたし共、料理屋の営業時間が20時→22時に、酒類提供が19時→21時に緩和になりました。休業、社員自宅待機をいつまでも続けていられないので、採算無視ながら予約客のみで営業しようかと目論んでいます。さて、お客さんがどれほど戻って…

京都市伏見に港があるのをご存じですか

伏見港、もちろん今は使われていませんが、江戸時代はじめから、太平洋戦争終戦過ぎまで、交通インフラの重要拠点として使われていました。鉄道や自動車がない時代には、物資の運搬、ひとの移動には船が主に使われていました。豊臣秀吉は伏見に城を築き、そ…

コロナの毎日

コロナ、コロナで商売あがったり。社員は全員自宅待機。電話受付とわたしだけが、毎日出勤しています。わたしは出勤してもそれほど仕事があるわけではなく、ヒマを持て余しています。午後5時に退社、入浴と夕食の後、7時のニュース。そしてBS放送のトーク番…

令和2年の春

いままで皆で、折り合いをつけて守ってきたものが、ある所から飛び火して手の付けられない山火事、みるみる燃焼消滅してゆくのを見ている感があります。振り返れば、人間は同じ歴史を繰り返してきたように思います。羞恥心、自尊心、ヤセ我慢。過去の過ちに…

災害の記憶と反省-その3-水害

ここ数年、台風などの大雨で、洪水の被害が続いています。エジプトのナイル河の氾濫は、雨期になると水かさが徐々に増し、水浸しになります。乾期になって水が引くと、そこは豊かな養分土壌の農地で、豊作となります。人的被害はほとんどありませんでした。…

災害の記憶と反省-その2の2-原発事故

東日本大災害・福島第一原子力発電所事故 写真は東京電力ホールディングス より 「原子力発電所(以下原発)は安全」と数十年にわたり説明されてきました。素人のわたしたちも、それを信じてきました。二重、三重、四重の安全対策が施されていると、推進する学…

災害の記憶と反省-その2 東日本大震災

yahoo公開画像から 3.11津波 震源地マグニチュード7.9、宮城県で震度7という大地震でしたが、報道を見る限り、地震よりも津波の被害が大きかったようです。被災地に人口密集地が多くなかったのが、地震被害が大きくなかった原因かも知れません。ということは…

災害の記憶と反省-その1 阪神淡路大震災

写真は神戸大学附属図書館>震災文庫>デジタルギャラリー より 今年も1月17日、大震災を回顧する報道がかずかずありました。4半世紀が経ったという時の流れは、夢のようです。 当日まず朝のテレビ画面に、倒壊した家屋の上から母親を叫び捜している男性の…

今日は京都市市長選挙

投票呼びかけ 早朝7時すぎ、朝食のまえに京都市市長選挙、投票に行ってきました。10人ほど選挙お世話方々が見守るなか、投票所にはわたしひとり。投票ハガキを手渡すと、「お誕生日の月日は」と問われました。年月日ではありません。わたしは誕生年を問われ…

月曜はじまりのカレンダー

文字ちいさく (月)はじまり 昨年暮れいただいたカレンダー、2ヶ月分が1ページに印刷されています。もらって文句を言うじゃないけれど、居間の壁に貼ると文字がちいさくて見づらい。予定を書き込むスペースが小さい。近視のひとも、わたしのように老眼も、め…

Windows 10 騒動

7そのまま XPも使ってます 十数年前、奥飛騨にある穂高温泉のホテルに泊まった翌朝、宿泊費をお勘定するとき、驚きました。フロントのカウンター内で精算請求につかわれていたのは、なんとPC-9801でした。ほぼすべてのパソコンがとっくにWindowsに変わってし…

普賢菩薩様

渡り鳥 白鷺 今日は朝から普賢菩薩様をお参りに行って来ました。辰歳、巳歳生まれのお守りご本尊です。わたし自身のお守りご本尊は、大日如来様ですが、思うところあって、あるひとのご成仏と、安寧を祈って、数年前からお参りしています。今日は、僧侶のみ…

きょうは えべっさん

大和大路通りは車両通行止め 今日は「えべっさん」、10日えびすの日です。小さいころは、おとな達につれられて、人混みの中、夜店といわれる露天商の店で、食べ物やおもちゃを買ってもらうのが楽しみでした。恵比寿神はご存じ七福神のひとつで、ほかの六神が…

1月3日は毎年

伊吹山泉神社の湧き水 明けましておめでとうございます。元旦は、氏神様の八坂神社へお参りします。3日はもう10数年前から、滋賀県近江長岡の東、泉神社にお参りし、伊吹山の湧き水を汲んできます。松の内はこの水を頂きます。たぶん、50年ほど前に降った雨…

刃物神社

刃物神社 八坂神社初詣の準備 今年もあと3日。健康でなんとか越年、氏神様である八坂神社へ感謝のお参りをしてきました。境内はおけら参り、初詣の準備中です。 刃物神社 本殿へお参りするまえに、いつも刃物神社へお参りします。本殿にむかって境内右奥、鬼…

夭逝 その3 - W先輩

広告サークルの論文集 学生時代、W先輩がサークルの冊子に載せられた一文に、私は大きな衝撃を受けました。広告活動の論文集に「商業美術雑感」との題で、「創造」がいかに大切なものかを述べられました。広告の商業デザインについての記述ですが、書かれて…

夭逝 その2 - A君

支店の入っていたテナント・ビル 私が家業の料理屋を引き継いでから15年目、商売が安定してきたので支店を出すことにしました。しかし、小さいながらもスタッフが新しく必要です。そこへ新卒で就職してきたのがA君でした。支店でも本店でもよく働き頼りにな…

夭逝-その1 関根正二

関根正二写真は「関根正二とその時代-図録、信仰の悲しみ-大原美術館HP、神の祈り-福島県立美術館HPより 年末になりますと、喪中ハガキなどきて、逝ったひとを思います。関根正二は20歳で夭逝した画家です。私が30歳代、ようやく家業に目途がついてきて、家…

炭を 「 いこす 」 は方言でしょうか

これは火消し壺。京都では(関西ではかな?)、炭に火の点いた状態にすることを「いこす」と言います。炎をあげて燃える火は「おこす」ですが、炭は「いこす」、また茶室の炉や囲炉裏の火は「いこす」です。「炭いこしときヤ」「炉の火いこったか」「よういこっ…

小説「きのね」を読んで

南座顔見せ興業 南座楽屋口 阿国歌舞伎発祥地の碑 宮尾登美子の小説「きのね」を読みました。久しぶりに面白く、いっきに読んで、少し感動しました。11代市川團十郎とその妻がモデルで「きのね」とは、幕が開くとき、チョーンとかん高く鳴る拍子木の音です…

明治・大正期の三条通( 中京区 )はビジネス街だった

さて、辨慶石を探訪したあとは、三条通りを烏丸通りまで歩いてみましょう。 家邊徳時計店。 三条通りを辨慶石を西に、麩屋町の西にこの時計店があります。明治になって西洋の物品を扱う会社として設立され、なんと明治23年にこのレンガ造りの建物が建てられ…

辨慶の伝承

辨慶石 由来板 京都市中京区三条通御幸町近辺は「辨慶石町」という町名です。御幸町通りを西へ北側のビルの下には「辨慶石」なる石がすえられています。男の子が触れると、力が強くなれるといい伝えられています。この石は衣川の戦い、主君源義経と辨慶が、…

薪ストーブのススメ

居間 ストーブ __ 居間 ストーブ 数年前、大病のあと、エイヤッと自宅を増築しました。居間の一画に薪ストーブをエイヤッと設置しました。12月に入ると焚き始めます。点火から燃え上がるまで、ご近所に煙で迷惑をかけないかと心配でしたが、点火剤とペレット( …

病院の外は

セキレイ 大病院 師走もにちにち、深まりつつあります。鴨川に面した大病院です。木々は紅葉し、まもなく落葉、訪れる新年を待つことになります。散歩していて、こちらから見る景色は、気楽なただの冬の一ページですが、入院していて外の木々の変化に年末を…

季節は冬へ

渋柿は皮をむいて干し、甘柿は熟して ひと月ほど前に収穫した、渋柿と甘柿。今年は豊作でした。ご近所、身内におすそわけ後、まだテーブルの上にいくつか残っています。32年前に当地へ引っ越してきたとき、敷地の鬼門に柿木を植えました。「柿」は「垣」にか…