きょうは えべっさん

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大和大路通りは車両通行止め

 

今日は「えべっさん」、10日えびすの日です。小さいころは、おとな達につれられて、人混みの中、夜店といわれる露天商の店で、食べ物やおもちゃを買ってもらうのが楽しみでした。恵比寿神はご存じ七福神のひとつで、ほかの六神がヒンドゥー教道教にルーツがあるのに対して、唯一日本神話にルーツをもつ神様です。もともと漁業の守護神ながら、農村では「五穀豊穣」、都市では「商売繁盛」の神様になりました。大和大路松原上るの恵比寿神社は、臨済宗の開祖、栄西禅師が南宋から帰るとき、海上の暴風雨から船を守ってくれた御礼に、建仁寺の境内に鎮守社として創建されました。いまの地には、応仁の乱ののち移転されました。

近世から都市が形成され、ひとびとが都市に集まると、物品の製造、販売、金融、都市間の運輸など、まさに人間が集まったからこそ成り立ちやすい商業が生まれました。その商売繁盛は、必然性や才覚に依存するものの、「流行り」という風向きによって左右される側面があります。「流行り」は時の運、自然現象のように神様にお願いして、有利に運びたいものです。恵比寿詣り、稲荷詣りは商売繁盛のお詣りとなりました。商売をしているひとは、売上に波があることを知っています。ひまで振るわないとき、どうしようもなく「神様にお願いにいってこようか・・・」となります。

 

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もともと恵比寿信仰は、漁業の信仰からはじまったはずです。ある時点から漁民は船団を組み、助け合って操業してきました。どの船もひとしく漁獲できるように配慮し、船が転覆などすれば、もちろんみんなで助けます。商売仇や競争相手の意識ではなく、仲間意識で成り立っています。採算がとれた漁獲の段階で、切り上げて寄港していました。資源の保全を考えました。反面、商売繁盛を必死に祈願する商人のすがたには、なんとなく強欲を感じ、「自分だけが」と祈願しているように見えてしまいます。都市文化が成熟し、いつのまにか「根こそぎ文化」、「ひとり勝ち文化」になってしまいました。GAFAとよばれるIT世界制覇企業、格差増幅する強欲資本主義。それを批判すると、「きれいごとを言っていては敗者になるだけだ」と笑われます。輪をかけて利益増大主義をあおるのが、行政の肥大化です。「役人の数は、仕事の量とは無関係に増えつづける」というパーキンソンの法則よろしく、それはこの国の現状をみごとに説明しています。受益サービスよりも、税金、健康保険料、年金掛金がはるかに高い。稼がなければ、儲けなければ・・・・。

恵比寿信仰は漁業の信仰からはじまり、共生の社会があったことを、いまいちど思い返す必要があるようです。「商売繁盛で笹もってこい」→「世の中、繁盛しなくても平和ですこやかに笹もってこい」。