そして誰もいなくなった

写真はGetty Imagesから

そして誰もいなくなった「and Then There Were None」。これはアガサ・クリスティをベストセラー小説家にしたミステリー作品の題名です。販売数は、歴代世界で6番目に売れた書籍だそうです。

この数年、アメリカで「トランプ現象」とでも言うべき現象が起こっており、(これ一体何なんだ ? ) と不思議に思っていました。ドナルド・トランプ共和党という政党内での人気はもちろん、前々回 ( 2017年 ) の大統領選挙で、民主党ヒラリー・クリントンを破って当選しました。前回の大統領戦では、民主党ジョー・バイデンに敗れましたが、得票数は僅差で、皆さんご存じのように、今年11月の選挙に向けて、共和党予備選で圧倒的な強さを示しています。彼の掲げる政治姿勢は「アメリカ第一主義-アメリカ・ファースト」です。

私はこのブログで、日本の現状を、「現場を軽んじる危険な国」として警告し続けてきました。若者に教育の大切さを示すのはいいのですが、それは多くの意味で「学問」や「創造性」への導きではなく、なんとなく「有利な就職」への切符を手に入れようとする行為に見えます。結果、基礎研究 ( 科学 ) や現場での開発 ( 技術 ) という「学問」から乖離し、目的のほとんどが 、( 楽して暮らしたい ) デスク・ワーク事務職への就職希望となってしまっています。私の小学生時代、昭和20年~30年代は、就労人口の内「農業」従事者が、圧倒的多数を占めていたようです。私の町京都では親の職業は、商店・飲食業・職人・運送業など現場労働がほとんどでした。そんな中で、親が夕方に帰宅し、一家揃って夕食の卓を囲める職業がありました。会社員です。我らワル餓鬼が日が暮れても遊び続けていたのに対し、会社員の家庭の子供には、「ご飯ですヨー」と迎えがくるのです。残された子供どもは、なんとなく寂しさを感じ、会社員の家庭が「特権階級」に思えたものです。そして日本は高度成長に向かって驀進し、農村の子供達は都会へ集団就職、都会の子供達は進学率が上昇し、大学へと向かいました。そして大学卒業後は「現場職」よりも「事務職または営業職」への移行が大きな流れとなってしまいました。「トレンド」と言う言葉があります。世の中の流れが、ある一定の方向に向かって流れ始めますと、逆らえません。「トレンド」です。魚屋も八百屋も豆腐屋も、スーパー・マーケットの波に呑み込まれ、無くなりました。町を歩いてみて下さい。「サンマのいいのが入ってるヨー」「朝堀のタケノコ、どうですか」と叫んでいたオヤジ達はもういません。「そして誰もいなくなった」状態です。そのスーパー・マーケットもコンビニエンス・ストアーに喰われかけています。24時間営業のコンビニは便利で有り難いのですが、店員不足に苦しんでいます。外国人の店員が多くなりました。林立するホテルの客室清掃やベッド・メイキングはネパール国からの婦人などが担っています。日本は移民入国に厳しいと言われていますが、それらの労働は「技能実習生」なんて誤魔化しながら、移民が補っている現状です。「そして誰もいなくなった」のが農業、販売、引っ越し作業、製造業などなど日本人の現場労働者です。これだけ現場労働が軽視されれば、国が回っていかなくなる危険があります。鉄道の保線作業を行うひとがいなくなれば、電車は走らなくなります。建設業の人手不足で、道路や橋の維持は難しくなります。介護士不足は、長年にわたり深刻な状態です。「現場労働が嫌われる」これが日本の特徴だとすれば、反面、アメリカではそれらの労働を厭わず従事する人々が普通に多数いるようです。階級社会の特徴かも知れません。すでに衰退してしまった産業が残る、Rust Belt銹錆地帯と呼ばれる地域には、衰退した産業で転職せずに就労している労働者が多数いて、トランプのスローガン「アメリカ第一主義America First」、かっての栄光を取り戻そうとするムードに呼応しているようです。 だから、移民の流入には大反対。「オレの仕事が奪われる」。ここが日本の労働形態との決定的な違いで、こう分析してみて、やっとトランプ現象がおぼろげに理解でき始めたところです。詰まるところ、これは現場労働者とEstablishment「社会的に確立した体制・制度」やそれを代表する「支配階級」とのせめぎ合いです。銹錆地帯や南部農村部と東海岸の高学歴エリートとの対立、分断。ドナルド・トランプとは、アンチEstablishmentが票になると察知したアメリカ人なんだと言えるでしょう。