コロナの毎日

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コロナ、コロナで商売あがったり。社員は全員自宅待機。電話受付とわたしだけが、毎日出勤しています。わたしは出勤してもそれほど仕事があるわけではなく、ヒマを持て余しています。午後5時に退社、入浴と夕食の後、7時のニュース。そしてBS放送トーク番組を次々に見て、11時半ごろ就寝です。連日トーク番組を見続けますが、論点は外出自粛、補償金、融資、感染拡大、抑制方法、テレワーク、医療崩壊危機と毎日同じテーマ。そこそこ解決策や良い意見も出てきますが、世の中が変わるようには実効性はなく、討論はいつも蒸し返し、堂々巡り。これは一体何なのか。つまり、国会で政治がやるべき討論を、テレビ局で毎日飽かずにやっていて、ラチが明かない。政策に結びつかない・・・・・。

はたと「そうか ! 」と気づきました。

国会の審議、やり取りを見て下さい。あれは討論ではありません。演説です。質問者はあらかじめ質問事項を委員会に提出しておき、役人や大臣などが答えを用意し、まるで演劇のように、脚本に沿って質問と応答を繰り返すのです。論点をしぼって解決策を模索するのではなく、質問者も応答者も「言いっぱなし、聴きっぱなし」なのです。ですから、論点が煮詰まって核心に近づいて行くという方向には行きません。立法も国政調査も単なるセレモニーです。おそらく、戦後まもなく、いや、もっと前の帝国議会からこの方法をとっているので、何一つ進展しません。もしも台本のない討論をすれば、相手からどんな議論をぶつけられるかわからず、それに返答すれば、またそれに矛盾点や異論の指摘があるやも知れず、普段からその問題の知識、見識を豊富にもっていなければできるものではありません。つまりフリー・トークには見識が必要なのです。いまの国会答弁は、学習塾のやりかたと同じ、ソツのない答案をいかに書くかのテクニック訓練です。論点をボヤかす、スリ変える、誤魔化して答弁するのが上手いひと、それが優秀な行政官・大臣で、いまの総理大臣はその意味では学習塾の天才に近い。逆に前防衛庁長官の女性議員ように、答弁が下手で正直で、失言を繰り返す人物は大臣には向いてないことになります。また、野党の質問者は、国民の問題解決などさらさら考えてなくて、いかに大臣・行政官をコキおろして、国民の前で恥じをさらしめ、溜飲を下げるのかに腐心します。そうすれば質問者は正義のひとに見えて、次の選挙には高支持をえられるのです。これは辻本清美的派手演技とでも名付けるべく手法で、相手をサンド・バッグさながら殴打することが目的なのです。

このように、討論、審議とはほど遠い国会のあり方は、国民もまったく期待しておらず、大事なことは見えない所で決定されることを知っています。国会をフリー・トークにすれば、世の中変わって面白くなると思うのですが。

かくして、毎夜トーク番組で良い意見を出し、核心部分をいくら討議しても、ラチが明かず犬の遠吠えになってしまいます。あまり早く寝ると、夜中に目を覚まして困るので、空しく冷笑しながら、今夜も11時半までトーク番組を見続けることになります。