夭逝 その2 - A君

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支店の入っていたテナント・ビル

私が家業の料理屋を引き継いでから15年目、商売が安定してきたので支店を出すことにしました。しかし、小さいながらもスタッフが新しく必要です。そこへ新卒で就職してきたのがA君でした。支店でも本店でもよく働き頼りになり、助かっていました。が、3年目の秋に突然、、退職するといいだしました。「まだ、修行の途中だ」と引留めましたが、東京の赤坂にあるホテルのN料理店へ就職を決めたといい、それ以上引留められませんでした。その年の暮れ、支店の料理長が「A君が死んだのを知っていますか」と漏らしました。何のことかわからず、聞いてみると、当店退職1週間後、東京へ行く前に、故郷でバイクの事故死をしたというのです。在店中から、250ccのバイクを乗り回していました。翌秋、1周忌の日を見計らって、A君のふるさと、山あいの実家を訪れました。探し当てたお宅に弔問を告げると、お祖父さんがおられ、近くで家族で経営されている食料品店へ連絡をとってくれました。家の前に立ってお祖父さんから、事故状況の説明を受けていると、顔中に涙をポロポロこぼしながら、お母さんが戻ってこられました。仏壇と成人式姿の遺影に焼香合掌をすませたとき、涙だらけのお母さんから「これを見て下さい」と仏壇脇に重ねてあった数冊のスケッチ・ブックを見せられました。驚きました。当店へ就職してから退職するまで、ほぼ毎日の料理が器とともに、克明に色鉛筆で描かれていました。料理から線を引いて、くわしい下ごしらえや味付けの仕方まで書いてあります。当時カメラ付きの携帯電話なんてまだありません。献立と器を控え書きし、寮室へ帰ってから、1品1品思い出して、夜遅くまで時間をかけて描いたものだと想像できました。「こんなに熱心だったのか」と驚きと同時に襲われた実感は「惜しい男を亡くした・・・・」と呆然となりました。享年21歳、生きていればいま55歳、脂の載りきった立派な料理人になっていたはずです。