人生が二度あれば

餓鬼道図         ameblo.jpから
私の人生、80歳を過ぎました。近頃、何かにつけて、つい自分につぶやくのです。「人生が二度あれば」と・・・。しかもこの言葉、あるメロディーを伴ってつぶやいています。そう、和製フォーク・シンガー井上陽水が歌った同名の曲です。この歌は、彼の1枚目のアルバム「断絶」に収録された曲で、そのアルバム全曲は作詞・作曲、井上陽水です。「傘がない」というヒット曲も収められています。「人生が二度あれば」は、仕事に追われて年老いた父と、子育てだけに人生を費やした母とが、こたつでお茶を飲みながら、若い頃を話し合っている風景を歌った曲です。そんな親を見ていると、「人生が誰のためにあるのかわからない」と・・・・。そして「人生が二度あれば。この人生が二度あれば」と歌います。

若者の中には「自分が何をしたいのか見つからない」とか「人生の目標が見つからない」と言うひとがいます。私は逆でした。20代の早くから、これを追いかけて歩んで行こうという明確な目標がありました。学生時代、所属していたサークルの2年先輩Wさんが書かれた論文を読み、感銘を受け、そのW先輩の背中を見てやって行こうと思っていました。それが、私が学校卒業間際の立春の日、羽田空港へ向かっていた全日空機が東京湾に墜落、W先輩はその便に搭乗していて、事故死。25年ぐらいの短い人生でした。彼は大手広告代理店に就職、札幌出張からの帰途でした。いま振り返ると「人生が二度あれば」とつくづく思います。W先輩の背中が見えなくなった私は、卒業後ふるさとを離れてひとり暮らしを続けながら、その目標はますます大きくふくらんで行きました。ひとり暮らしは、気楽で自由にあふれていた時代でした。乏しい稼ぎで、喰うに困る生活で、一杯いっぱいでしたが。そんな生活も、人生の目標も、卒業後2年でヘシ折られます。家業が傾き、無理やり実家へ連れ戻される事態となりました。「家業を継がなくてもよい」という親との約束は反故にされ、「世の中で一番やりたくない職業」に取り組んで50数年、今つい、つぶやいてしまいます。「人生が二度あれば」と。

私のように、思い通りに行かなかった人生経験者は、世の中で大半だと思います。

何もかも上手く行って、結構な人生を歩んだひとなど、ごくごく少数のはずです。それでも言いますか ? 「こんなに幸運・結構だった過去を振り返り、もう一度「人生が二度あれば」と ??? 。人生に目標を見つけられず、無為に過ごしてしまったひともおられるでしょう。道に迷い、右往左往したことを悔いてつぶやきます。「人生が二度あれば」と。

輪廻六道のうち、喰っても喰っても、まだまだ喰いたい状態を餓鬼道と言います。人生の目標を先に見据えているのに、そこへ一歩も近づけない。この様に私のような喰いたいのに喰えない状態も、餓鬼道なんでしょう。ひるがえって、我が女房殿を見ていると、3人の子供を育てたあと、今はお茶会、食事会、たまに歌舞伎鑑賞など、友達との交友優先、人生に悔いがあるのかないのか、わかりません。「人生が二度あれば」などと見受けられないのは、不思議でもあります。ひとそれぞれ、人生いろいろ。私のように、夢・願いを追いかけて、餓鬼道、修羅道をのたうち回って、釈迦力に喘ぎながら「後悔」に苛まれ「人生が二度あれば」とつぶやくのも人生。風のごとく水のごとく、すべてを「あるがまま」に受け入れて、「一度限り」の人生に満足して、自然のままに生きるのも「人生」なんでしょう。80歳になって「人生が二度あれば」などと思いながら、正直、「疲れました」と言うのが私の実感です。