職人仕事について

ロシアのウクライナ侵攻が長引いています。時折、穀物輸送の動向などに関して、黒海の情勢が取り上げられ、地図上でエーゲ海から地中海へ通じる狭い水路、トルコのイスタンブールがテレビ画面に出てきます。そこで思い出すのは、当方の家業でお世話になったS大工さんです。オヤジさんの時からの出入りで、彼は工業高校、建築科の生徒だった時から、手伝いとして来ていました。高校卒業後、オヤジさんとふたりで、いろいろと建物の修理などに尽力してくれました。オヤジさんが亡くなってからは、当店でももちろん出入りの大工さんとして、活躍してくれました。現在は移転して新築ですが、実は5年前まで当方の家業は、明治時代の建物を使っており、ある意味で「装置産業」でもありました。私の仕事は、建物の修理などの経費をいかに安く押さえるかが、経営手腕の重要点でした。ですから、この大工さんを通じて、質的に高度な要求をしながら、いかに安く仕上げるかに腐心していました。いつも、彼と厳しいせめぎ合いをしていた思いがあります。他にも出入りの得意先はあったでしょうが、連絡すればすぐに来てくれるほど、当方のウエイトは高かったはずです。あまり儲けさせてあげた記憶はなく、彼に息子はふたりおりましたが、後を継いで大工になろうとはしませんでした。思い返すと厳しすぎたのかと自身に罪悪感を覚えます。このS大工さん、晩年仕事も少なくなってから、「イスタンブールへ旅行してきました」と言いました。話を聞くと、若いときから西洋史が好きで、いつも調べていたと言います。「現地をあれこれ見て、大満足」だったとも言いました。これが私にはからだの芯に響きました。「これこそが教養だ!」と。大工に限らず、技を極めた職人さんには共通の持ち味があります。学校でのお勉強ではなく、現場での修行、知恵に醸成された「もののわかり方」、これが本当の「教養」です。S大工さんは二級建築士の資格をもっていました。しかし、そんなペーパー・テストで得た知識よりも、オヤジさんから叩き込まれ、「差し金」「墨壺」「鑿の使い方」「木材の性質」「墨付け」など経験から取得し、蓄積された「ものの見方」が教養を作ったのだと感じます。オヤジさんはむずかしい場所に溝を掘るとき、独自に大工道具を作って作業したと言います。キラリと光る「創造性」です。そしてその息子は仕事とは別に、西洋史に興味を持って勉強していた。このとき、私は伝統職でもある職人さん達が身につけている「知恵」すなわち「教養」の意味がわかった気がしました。

今年5月に私は癌の摘出手術を受けました。癌を見つけてくれた病院からは「当方ではとても手に負えない」と匙を投げられ、即刻大学病院へ送られました。そこで手術の説明を受けたのは、外科チームのトップ、親玉とも言える教授からでした。詳しく詳しく手術の説明をするその教授は、何となく楽しそうにその手順を笑顔で話すのです。そしてニコやかに言います「手術を受けるのも、受けないのも選択肢。どちらを選びますか?」。私がこの教授に感じたもの、それはまさに「職人魂」でした。聞いていて「このひとに生命を委ねても大丈夫だ」との思いがわき上がってきたのを覚えています。手術を受けない選択をしていたら、おそらく今、私はこの世にいないでしょう。この教授に感じたもの、それは35年ほど前、同じ大学病院で母が肺癌の治療を受けたとき、担当の「医学部教授」に接して感じた高圧的、権威的感覚とは真逆のものでした。この手術チームの頂点におられる教授を「職人」と呼ぶのは失礼かも知れません。しかしこの時私がこの教授に感じたものは、ベテラン職人さんがもっている雰囲気、培われた経験、すなわち仕事を通じて会得された職人さんに共通の「自信」でした。これを「教養」と言って良いのではないかと思います。

明治以来、日本人は良い収入を得るため、ひとの上に立つため、自らの人生の安心のため、お勉強に励み良い成績を取り一流大学へ進むことが、その方法だと勘違いしてきています。世間では職業が「管理」と「現場」に二分されています。若者が大学進学に殺到し、「管理」の仕事に殺到し、就職先がないという状況が起きています。反面「現場」では人手不足が顕著です。これは何を意味するか? もうそろそろ「現場」を大切にし「職人」を大切にしてゆく方向へ舵を切ることが、この国の未来をきめるための大切なポイントだと考えています。「現場」を大切にし、職人仕事を尊敬し、収入を良くして、働くこと生きることの意識改革が必要です。皆さん「現場」が手薄になると、大変な事態を招きますよ。いや、もうそれは多方面で起こっています。食糧、運輸、医療、介護、建設、機械、・・・ETC。日本人がここに早く気づいて欲しいと思っています。