空港ピアノという番組

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柚子の花とサクランボ

庭の柚子の木が花をつけました。今年の冬には実をつけそうです。サクランボもわずかですが、小さな実がついています。

さて

BSテレビ放送で「空港ピアノ」という番組があります。15分間ほど、番組と番組のあいだに放映されます。日本だけでなく、世界の空港や駅ロビーに設置された中型グランド・ピアノに目をとめた、通りかかったひとが、思い思いに演奏します。弾くひとの心境や、どんな訳アリの旅行中なのかなど、それぞれの事情がテロップで出ます。旅には人生の特別な意味もあり、こころ打たれるシーンもかずかず見られます。プロのミュージシャンあり、ピアノ教師あり、むかし習っていたピアノ演奏を退職してから再開した老人あり、独学我流で弾く若者ありで、21世紀にもなると、これほどひとびとのなかに、音楽が、ピアノが根付いているのだと知って「人間ってイイな」と思えるのです。ふと足をとめて演奏するひとを、ロビーのひとは遠くから見て聴いていて、ときに拍手があつたりします。多くの空港にピアノが置いてあるようです。まったく無関心に通り過ぎるひともあつて、さりげない風景が空港の日常を表しています。以前、ある国会議員さんが、ほんの短い期間でしたが、棚からボタ餅のように、総理大臣になって外国を訪問ました。その時、まったく我流でマスターしたピアノの腕前を、外国要人のまえで披露したことがありました。なにごとにも器用に取り組んで自分なりに身につけ、話題もあきれるほど豊富、冗談ユーモアも実に上手いひとでした。それをある音楽家が「正規のピアノ教育も受けず、まともな教師に師事もしていない我流のピアノを、外国要人のまえで弾くなんて、国の恥だ」とマスコミで発言しました。それが誰だかは私は今も覚えています。それに対しある高校生がした反論は「正規の音楽教育を受けた受けていないは関係ない。音楽教育を受けたひとの音楽だけが音楽ではない。音楽はひとそれぞれ自由に楽しむもののはずだ。我流のピアノ演奏も立派な音楽ではないのか。それを恥というひとが間違っている。音楽を誤解している」という主旨の発言をした記事がありました。私は、これは我流演奏を批判した音楽家が赤恥をかいたのだと、大いに溜飲を下げたものです。「空港ピアノ」には決して上手いとはいえない、たどたどしい演奏もありますが、それはそれでまた何となくこころ暖まるものでOKです。「ウサギ追いしかの山 小鮒釣りしかの川・・・」あるピアニストが、この「ふるさと」の曲を弾いてる映像、画面には「東日本大震災の被災地巡回したとき、この曲を弾くと、各地の会場ですすり泣きがきこえてきた」とテロップが現れました。ショパンやリストでなく、「ふるさと」というのがイイじゃないですか。ここに本当の音楽のちからを感じます。むかし旅のドラマやロマンは夜行列車でした。いまは世界各国の主要都市、日本の多くの都道府県に空港があって、ひとびとは飛行機で移動することが増え、空港を行き来するひとびとはひとりづつ旅の物語を抱えています。そこにピアノを置いてみれば、上手い下手もプロもアマも関係なく、意図せず人生の事情がにじみ出てきます。こころ打たれたり、涙ぐんだりして、この15分間ほどの映像に引き込まれています。ピアノのまわりに数個のカメラとマイクを設置してあるだけ。そこには製作者の意図も演出者の技量もなく、通りかかったひとの人生がさりげなくにじみ出てきている、出逢いのような、身の上話を聞いているような時間を体験できている気がします。こんな番組があるかぎり、まだまだ日本の文化も捨てたものではありません。