国家とは

我が家の柿は、今年も豊作でした。柿は何もしなければ「隔年結果」という実のなり方で、豊作の年と不作の年を交互に繰り返します。昨年は豊作でしたので、今年は不作の可能性が考えられました。「隔年結果」を防ぐには、花の咲く時期に花を間引いたり、枝を剪定するのが良いそうですが、そんな面倒なことはなかなかできないので、寒肥と夏土用の施肥を多めにしました。上手くゆきました。写真は甘柿です。もう少しツブの小さな渋柿もたくさんなっています。渋柿は皮をむいて、風干しするとたっぷり甘くなり、おいしいものです。柚子も豊作で、大きめの実がなりました。手入れ(剪定)もせず、年に1~2回肥料を施すだけで、農作業と言えるようなことは何もしませんが、それでも木に実がなりだすと、大地のチカラ、太陽のチカラ、風雨の有り難さ=自然の有り難さを感じます。

私は癌の再発から1年半が経ちました。そのひと月ほど前、ロシアはウクライナに侵攻し、この秋には、パレスチナハマスイスラエルを攻撃。イスラエルガザ地区へ大爆撃、反撃をしています。いま、世界の目はそちらへ向いていて、忘れられがちでもミャンマーでは、軍事政権に反抗して、民主派勢力や少数民族が根強くゲリラ戦を続けています。シリアやトルコではクルド人が抵抗を続けており、中国西部ではチベット自治政府が人民政府と対立しています。アフリカでは、資源と利権をめぐって内戦状態に陥っている国が多くあります。民族があり、言葉があり、宗教があり、対立を始めると憎悪の連鎖が起こります。国家とは一体何なんだという疑問も湧いてきます。

先日の報道で、ウクライナ参謀本部の発表として、『この戦争の誤算は「ロシアが15万人もの兵士を戦死させても、戦争をやめないことだ」』とのコメントがありました。プーチンにすれば、それぐらいの兵士の死者数は織り込み済み、これからいくらでも新たに兵士を注ぎこんで、「まだまだやるぞ」と言う意識のようです。先日のプロ野球日本シリーズ甲子園球場は毎日4万2千人超の観客で満員でした。15万人の兵士の戦死とは、あの観客席の一日人数の約3.5倍です。それだけのロシア兵が死んでいます。冷戦期のはじめ、スターリンは「アメリカとの核戦争になれば、何人ぐらい自国民が死ぬのか」と問い、「300万人ぐらい死にます」との答えに、「何だそれだけか、独ソ戦の10分の1じゃないか」とつぶやいたと言います。独裁国家の主導者にとって自国民は、虫ケラのような存在のようです。戦争とは、主義主張、メンツ、自己利権、宗教教義の対立などが原因で起こります。それらは「ひとの命の重さ」と天秤にかけて比べて見れば、捨ててしまっても良いような事柄です。国民が幸福になるために存在する国家が、そんな詰まらないことのために、戦争をオッ始め、国民を死に追いやります。特に第一次世界大戦以後は、兵士だけでなく、非戦闘員である国民を殺害する戦争になってしまいました。ヨーロッパでの戦争は、相手の都市を爆撃し、一般市民の犠牲を増やして、相手国に降参を迫ろうとする形態になって行きます。ヒトラー空爆によって燃えさかる大都市のイメージを抱き、実現を待ち望んでいたのでしょう。電話口で「パリは燃えているか?」と叫んだそうです。太平洋戦争時、日本でも人間が多く住んでいる各都市が狙われ、B29爆撃機から焼夷弾を雨アラレと落とされて市民は逃げ惑い焼け野原、東京だけでも死者10万人以上、最後に原子爆弾を2発被弾して降参しました。ミッドウェー海戦や南方戦場のように、最初は戦闘員同士の戦いですが、最後は一般市民へどれだけ被害を与えるかが近代戦争の結末のようです。アメリカ極東軍司令官ダクラス・マッカーサーはフィリピン戦線において敗北し、兵士は日本軍の捕虜となりました。自身は押され押されて、コレヒドール島から命からがらオーストラリアへ逃げのびたとき、集まった報道陣に宣言したのは「I shall return !」です。これが後日、マニラ市民に最悪の不幸をもたらすことになります。1944年アメリカ軍を中心とする連合軍は、レイテ沖海戦で勝利し、ルソン島のマニラに迫り市街戦となりました。マニラ市民70万人が生活している市街へ突入し、占領している日本兵の殲滅戦は、熾烈なものとなりました。日本兵12000名全滅、連合国兵1020名、非戦闘員であるマニラ市民10万人が巻き添えとなって死亡しました。連合軍には、市民の安全を考え、市街に突入せずに、取り囲んで兵糧攻めをする選択肢があったはずですが、選択されたのは市街戦の方、不幸な惨状結果となってしまいました。マッカーサーの「I shall return !」との宣言は、内心の悔しさを込めて、「いつか倍返ししてやる」という憤りとメンツ立て宣言でしかありません。市街戦はそれを実行したと考えられます。

今、パレスチナガザ地区ではイスラエル軍によって、多くの市民が避難している病院が標的にされ、爆撃されています。病院がハマスの拠点で、市民を盾にしているとの主張です。ここでも、突撃戦闘、爆撃と、もうひとつ包囲して兵糧攻めの選択肢があると思います。時限的な停戦も取りざたされています。さて、イスラエルの指導者、軍部が、一般市民の命をどう扱うのか、世界は注目する必要があると考えています。

癌の再発以後、最先端医療に救われ、何とか生き延びて、「思い返せば私の人生、戦争も徴兵も体験せず、平和に生きてこられたナ」と有り難く感慨を込めて振り返る現在の心境です。