コンビニで印鑑証明

印鑑登録証明が必要になり、マイ・ナンバー・カードを持って自宅近所のコンビニエンス・ストアーへ出かけました。読み取り機の部分にカードを置き、画面の「印鑑登録証明」を選び、暗証番号を打ち込みます。料金「250円」が出て、コインを入れます。出ました。一瞬です。「印鑑登録証明書」。午後8時、役所が開いている時間ではありません。感動しました !!! 。先日は「戸籍謄本」が必要だったので、家内にマイ・ナンバー・カードを渡し、暗証番号を教えて取ってきてもらいました。それも夜、近所のコンビニ。以前は区役所の開いている時間帯に区役所まで出かけ、申請書を書き、待たされ、やっと発行の手順でした。区役所までは地下鉄で3駅。

区役所まで往復と発行手続き時間など合わせて、1~2時間。それも午前9時から午後5時の間しかダメ。休日もダメ。マイ・ナンバー・カードを馬鹿にしてはいけません。これは「感動」ものです。もうひとつ。旅券(パス・ポート)の有効期限が切れてしまっていたので、自治体のホーム・ページをPCで開くと、旅券の申請ページが出てきました。申請書をPDFでダウン・ロード、必要事項をキー・ボードで打ち込み、プリント・アウト。それを持って旅券申請所へ出向きますと、窓口のお姐さんが、各項目をチェック。「1週間後に発行できていますから、取りに来て下さい」。アッという間。同じく「感動」しました。

世の中、だいぶ良くなってきました。カシコイ行政と言ってもいいと思います。反面、マイ・ナンバー・カード申請時の混乱を思い出します。そろそろカードを作ろうと、窓口へ出向いたところ、入り口から長蛇の列。「最後尾」の立て札持ったひとがいました。その辺の顛末は、今年2月15日のブログ「マイナンバーカード狂騒曲」を見て下さい。

この、カードの便利さを知ると、お役所のひと=行政官をそうそう馬鹿にできなくなってきます。「やればできるじゃないか」が今回の私の感動原因です。

やればできるひと。やってもできないひと。やらなくてイイことをやるひと・・

と、お役人はいろいろですが、中にもわずか「やればできるひと」がいるのを知って感動しました。行政はPRが下手です。こんなに便利な物を、どうしてもっと宣伝しないのか。宣伝もせずに「今のうちに取得すれば、ポイント(タダ銭)をあげますヨが、マイナ・ポイント騒ぎでした。ポイントなんて馬鹿なことする必要ない。取得すればこんなにも便利なのですから。もう、数年前から自宅近くのターミナルに、区役所の出張所があって、役所定年後の年代のオジサンが待機していました。そこで、印鑑登録証明や戸籍関係の証明書は発行してもらえたそうです。「そうです」と書くのは、私は利用したことがなく、いつも家内に行ってもらっていましたから。これだけでも、画期的なことで、自転車で行ける距離で有り難かった。それでも受付時間内、しかも人的配置が必要でした。「アナログ行政」です。今回の事例、コンビニエンス・ストアーで朝6時30分から夜23時までプリント可能。人的配置なし。土曜日日曜日、休日もOK。凄い ! 。コンビニのコピー機の奥に、区役所があるような錯覚に陥ります。印鑑登録証明書が音もなくフワリと出てきました。なんと「デジタル !!!!! 」。

まだ、詳しくは調べていませんが、所得税の確定申告も可能なようです。若い頃、国税の確定申告を自分でやろうとして、税務署を訪れました。税務署は、戦場の様相を呈しています。2月15日から3月15日まで、税務署職員ほぼ全員がその担当部署を問わず、一斉に受け付け事務に当たっていました。生命保険の支払い証明書や、医療機関の領収書を手にした納税者が、この期間に税務署へ殺到するのです。納税者ひとりひとりに職員が対面で応対し、確定申告書を作成して行きます。納税者の目的は、ほとんどが税金の還付です。私自身その後は税理士さんにお任せするようになって、税務署へ出向くことはなくなりましたが、あの光景は忘れられません。100円でも1000円でも、払いすぎた税金を取り戻そうとする沸騰エネルギー。日本人の納税意識を垣間見た気がしました。これもe-Taxとやらで、電子申告ができるようになったようです。

思い返せばパソコンが世の中を変えました。と言うよりその前に「ソロバン」があり「計算尺」があり、やがて「電子式卓上計算機=電卓」になって、やがてPC(パーソナル・コンピューター=パソコン)へと展開して行きます。私が親の借金背負わされて、会社を任されたのは昭和44年(西暦1969年)のことでした。当時当社にはアホな事務員のオバサンがいて、会計事務をすべてひとりで取り仕切っていました。毎月の府税申告、税理士への試算表データ、銀行への会計データ、すべて間違っています。間違いを指摘しても「怒る」だけ。直さない。しかし、税金も試算表も銀行へのデータも、正確にやらないと話しにならない。月末が近づくと私はすべてをソロバンで計算し、集計し直す必要に駆られました(電卓の一般への登場はその5~10年後)。徹夜です。これを10年ほど続けて行く内に、私は(こんなアホなこと続けていられない。何か良い機械はないか ? )と考えるようになりました。大阪の電気屋街「日本橋」の店を一軒一軒、軒並み歩きました。そこで見つけたのがNEC、PC9800シリーズです。パソ・コンのはしりでした。しかし、人気のこのパソ・コンは奪い合い、品薄。すぐに手に入らない。仕方なしに買ったシャープのMZパソ・コン。これが良かった。BASICプログラムを一から勉強できました。1年後PC9801を手に入れ、それから1年かけて、会計データをすべてBASICで計算できるようにしました。楽しく夢中になれた日々として懐かしく思い出します。その頃にはアホ事務員オバサンは拗ねて退職し、若い女子事務員に代わり、間違いも無く税金やデータを正確に算出できるようになっていました。

そんなある日、税務署が調査にやってきました。当社の会計データを見て「これ一体どうなってるんですか ? 」と問います。仕組みを説明するのに、BASICで作ったプログラムを見せました。プログラム画面を目で追いながら税務署員は舌を巻き、「このプログラムをプリント・アウトしてもらえませんか ? 署に持って帰り検討したい」と言います。私は答えました。「いくら支払う?」。「署には該当する予算がありません。・・タダで・・・」私は叫びました「何を言うか?これは私が1年掛けて作ったもの。タダでは渡せない。他の企業でも使えるレベル。少なくとも1千万円支払うのなら」。署員は「それは・・・」と言って諦めました。そして税務調査はすぐに終わり、帰って行きました。

その後、私はもう一度事務員の抵抗に遭います。WINDOWS 95が登場した時です(平成7年=1995年)。せっかく作ったBASIC計算プログラムですが、WINDOWSの登場でそちらへ乗り換え、廃棄せざるを得なくなりました。「すべてやり替えることになりました」と言うと女子事務員は猛反発しました。「ここまで獲得した仕事のやり方を、どうして捨てて、新しいやり方を学ばなければならないのですか。絶対イヤです」。「世の中が変わったのだから・・・」と言っても納得しません。仕方なく私はBASICで行っていた会計作業を、EXCELに代えました。もともと、BASICの別にMultiplanという表計算ソフトも使っていたので、スムーズに移行できました。最初はシブシブ、その内目を輝かせて事務員はWINDOWS 95のEXCELにのめり込んで行きました。ソロバンから計算尺、そして電卓からパソ・コンへと、アナログからデジタルへ、54年間にわたる世の中の変遷をお伝えすべく、こうしてブログを書いています。若い頃「東京タワーの設計・構造計算は、計算尺を使ってなされた」と聞いたことがあります。あの竹の上をスライドする目盛りでどうやって設計したのか ? ずっと疑問に思っていました。先日、土木工学の会社を経営する技術者と話す機会があり、「計算尺」の話しに及んで、やっと解りました。電卓がまだなかった頃、ソロバンだけで計算するのは大変だったそうです。そこで技術者はみんな計算尺を使ったと言います。対数がどうのこうのと言う難しい構造は分かりませんが、ソロバンの延長のようです。わずかに誤差が出るものの、計算には大変便利なツールだったと言う説明でした。そして電卓が登場し、小数点以下コンマ、コンマ、・・・の答えがパッと出る。ルートも二乗も三乗の計算もパッ・・・・。「何だそんなことか、要するに計算機」です。今はパソ・コンでどんな複雑な計算もパッ。1ヶ月かかった計算も、1年かかった計算もパッ。コンピューターとは「電子計算機」、これがパーソナル→個人が気軽に使えるようになって、世の中を変えました。私は新聞を読まなくなりました。Yahoo Japanが新聞の代わりです。買い物になど出かけません。Amazon楽天で注文OK。後期高齢者から小学生まで、各自自分の電話を持っています。どこからでも、いつでも電話をかけることができ、電話機の中には電卓も入っていて使えます。そして、夜のコンビニで印鑑登録証明書がフワリと出てきました。長生きはするものです。

WINDOWS 95 以前に使っていたワープロ・ソフト「松」とミニ・フロッピー・ディスク。ワープロ記憶媒体は紙に磁気粉を塗装したもの。