YS-11の思い出 (MSJはどうなるのでしょう)

 

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YS-11

2000年から2005年にかけてNHKで放送された「プロジェクトX-挑戦者たち」は無名の日本人を主人公にした、かずかずの挑戦の物語です。先日再放送された「翼はよみがえった」国産旅客機YS-11開発の物語を見て、大いに感ずる所がありました。戦後GHQによって航空機開発は禁止されました。禁止が解けて、失業状態にあつた戦前からの古参技術者たちと、航空機製作初体験の若手技術者たちの無謀とも思える挑戦が番組で描かれていました。設計開始から5年余りに及ぶ苦闘の末、YS-11は完成し初飛行を成功させます。それから米国のFAAの型式証明に合格し、180機が世界の空を飛ぶことになります。私がはじめて乗った飛行機はDC-8という大型ジェット機です。天井の低い教室に人間が前を向いてギッシリと並べられて、教室そのものが前へ突進、ぐらッと浮き上がる感じでした。航空機にはそんな感覚をもっていましたが、あるとき香川県高松市へ出張することになりました。大阪空港、搭乗ゲートから空港の路面へ降りて、バスに乗ることを知って「えッ」と少し驚きました。バスは遠くに駐機している飛行機に向かって走り出し、着いて降りると筒型の小さな飛行機がありました。それがYS-11でした。大型ジェット機を見慣れていたのでそのコンパクトな機体はたまらなくユニークでした。タラップを登ってゆくとすぐ近くの窓越しに操縦士がふたり見えました。そうかプロペラ機なんだと思い、「ヒコーキに乗るゾ」とジェット機では味わえない実感が湧いてきたのを憶えています。乗客約60名、満席の乗客ひとりひとりになぜか仲間意識がわいてきてきます。自動車が道路を走るように走り出し、ふわッと浮くと左右に少し揺れて、前方が極端に上向くこともなく、上がって行きます。鳥です。鳥になった感覚でした。時々気流の加減か、浮き沈みもありますがそれがまた、大型ジェット機にはない鳥感覚を感じさせてくれます。空気に乗っている感じです。着陸はもともとスピードがそれほどないので、ソフト・ランディングで止まりました。ジェット機のように逆噴射して、必死でブレーキをかけている感じはありません。「これは楽しい !! 」。YS-11機に魅了されてしまいました。高松での用事を済ませ帰途は夕方になり、運良く窓側に席が取れて見下ろしていると、大阪の夜の光景が見えてきます。いろんな色彩の光、道路を走るクルマ。連なって走る電車。ジェット機では景色がどんどん後ろへ飛んで行く感じですが、プロペラ機は違います。眼下に広がる街の夜景の上をフワリフワリと飛んで、夢心地で眺めていました。その後、何度か地方都市へ出かける機会がありましたが、搭乗する飛行機は、可能な限りYS-11を選んで楽しみました。

YS-11は7カ国15社に輸出され世界の空を飛んでいましたが、日本国内では2006年に改正された航空法により、空中衝突防止装置が義務づけされました。YS-11は経費で対応できず、定期路線から撤退しました。その後日本では飛べなくなっても、外国では飛んでいましたけれど、補給部品の供給体制が整わず、生産中止に追い込まれたとされています。

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MSJ(MRJ)

三菱重工業社は三菱航空機を設立し、2008年国産初のジェット旅客機の開発を発表、三菱リージョナル・ジェットMRJ ( 後に三菱スペース・ジェットMSJに改名 )の 、初飛行を2015年に成功させました。名古屋空港から飛び立ち、伊勢湾を回って同空港に着陸したニュース映像を見て、航空ファンのみならず、みんな興奮したものです。ただ、その後に伝わるニュースは各航空会社との大量受注契約に対して、開発の不具合と納期の度重なる延期、契約キャンセルばかりです。そしてついに2020年、三菱重工業は開発の凍結を発表しました。私は航空工学の専門知識をもっているわけではありません。三菱重工業社の内情を知る立場にもありません。しかし、YS-11とMSJ開発に携わったひとびとの明確な違いをイメージとして抱いています。それは昭和30年代と平成になってからの日本 (人) の違いです。新幹線を走らせる、高速道路をつくる、世界に負けない自動車産業をつくる。徹夜なんて当たり前、がむしゃらに研究やもの作りに取り組んでいました。平成に入ったころから、労働は悪、週休2日制、祭日増加の大判振る舞い。若者は「イイ大学に入って、イイ企業に就職する」意識。令和が近づくと、「しんどい仕事は誰かにやってもらって、デスク・ワークに就き、余暇を楽しむ」となってきました。各製造業で、製品検査が形骸化し、資格を持たないひとの検査や、きびしいマニュアルを無視した製品の納入が常態化しています。現場の労働を軽視するあまり、管理や事務に携わるひとばかり増えているのが原因でしょう。現場の人手不足、事務職への就職殺到。しかも現場の労働者にも休暇を与え、長時間労働を忌避させようとするから、現場が回らない。MSJを見ていると、ジェット機の型式証明に合格していない時点で、売り込みや契約ばかりに励んで、延期とキャンセルが相次いでいます。ホワイト・カラーとナッパ服を着る現場とのバランスが狂っているとしか考えられない。製造業に製品出荷検査のマニュアルを作るひとは大勢いて、ますます厳しくする。製品を作るひとは常に不足していて長時間労働をとがめられる。「製品検査、そんなことやってられるか ! 」との声が聞こえてきます。家電製品や家具の失敗作は「故障→交換」で済みますが、運輸製品の自動車、電車、航空機はそうは行かない。しんどい仕事を外国人労働者や外国人研修生にやらせていては、製造業はもたないのではないですか。現場や職人を軽視する国には、衰退しかないような気がします。プロジェクトXの再放送を見ていて、あのころ日本人はもの作りに必死になって、楽しく生きていたのを懐かしく思い返しました。

 

♪ 行く先を照らすのは まだ咲かぬ見果てぬ夢

遙か後ろを照らすのは あどけない夢 ヘッドライト・テールライト

旅はまだ終わらない ♪ 

(中島みゆき作詞 ヘッドライト・テールライト から)

 

このブログにWikipediaから、YS-11とMSJの写真を転用しました。この行為は、この写真を撮影したひと、もしくは著作権を所有しているひとの了解を得る必要や対価を支払う必要があるのでしょうか ? ご存じの方は教えて下さい。

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