ウクライナ戦争・プーチンの狂気

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2月24日にロシアがウクライナに侵攻してから14日が経過し、これから総攻撃爆撃が予想されます。非戦闘員である住民への無差別攻撃、原発への爆撃、占拠、核兵器の使用までチラつかせるプーチンの行動は「狂気」としか言いようがありません。この正気の沙汰ではない出来事の報道を毎日目にすると、「スターリンの大粛正」を思い出します。レーニンが病死するとき、信用されていないスターリンは、実に上手くズル賢く立ち回って、ソビエト連邦の最高指導者につきました。しかし批判も多く、スターリンは批判者や政敵に対し徹底的な弾圧を行いました。スターリンのあと、ソ連の最高指導者となったフルシチョフ(生誕地はロシアですが、民族的にはウクライナ人)のもとに「スターリンの大粛正」として明るみに出た事実は、100万人とも200万人とも言われる銃殺刑の実行でした。処刑の人数が多すぎて、遺体を埋める穴掘りが間に合わなかったと言われるぐらいです。また終戦時、日本人にとっては忘れることができない「シベリア抑留」という悪行を行ったのもスターリンです。満州などにいた投降した軍人や民間人60万人を強制的に貨車に乗せ、シベリアへ連行。極寒のもとで満足な食糧も与えられず、強制労働で6万人が病死、餓死した事件です。今回のプーチンの悪行を見るにつけ、ロシアの指導者はどうしてこうも残酷なことができるのかと思います。そもそも、ソビエト連邦建設に際し、レーニンが遂行した共産主義革命とは、はっきりと「暴力革命」を標榜し、革命のためには「恐怖」と「暴力」が必要だとしてチェーカーと称する秘密警察組織を創設しました。貧農と搾取を受けている労働者を解放し、人民のための社会体制を作るという「共産主義革命」ですが、その達成過程で、「恐怖」と「暴力」が原動力になったことは、その後の国家運営に影響しないはずがありません。革命を成し遂げたレーニン、そのあとを急襲してトップの地位を手に入れたスターリン。現在の大統領プーチンもこのDNAを受け継いでいます。特にプーチンソ連国家保安委員会(KGB)に憧れて就職し、諜報活動をしていた人物です。政界へ転出してからは、KGBロシア連邦保安庁(FSB)と名前が変わったその長官に就任します。それからマネー・ロンダリング疑惑をもたれた、エリツィン大統領の追い落としクーデターを未然に防ぎ、その功績により、エリツィンから信頼を得て首相への階段を登り、第二次チェチェン紛争の抑圧に容赦なく暴力を発揮しました(Wikipediaプーチンより)。このチェチェン紛争は、旧ソ連邦地域がロシアから独立しようとする抵抗戦争でした。この紛争で数十万人の民衆が命を落とした構図は、まさに現在のウクライナ戦争と同じです。チェチェン紛争を制圧して大統領に登り詰めたプーチンにしてみれば、ウクライナで同じことを行うのは、この成功体験が根強く肌に染みついている所以です。

貧農や被搾取労働者を解放するという、20世紀に入って興った「共産主義」は、レーニンスターリン毛沢東金日成カストロなどと言った独裁者を生み出し、その理念とはるかにかけ離れた不幸を世界にもたらしています。世界のその後の独裁者とともに、プーチンはそれまでの人物よりももっと悪人の評価を歴史に残すかも知れません。そしていつも、その犠牲になるのは罪もない民衆です。

今回の戦争を例えれば、嫁ハンに逃げられた暴力夫に見えてきます。ウクライナという元ソビエト連邦の一員(配偶者)が、自由も認めず暴力をふるう夫に愛想を尽かし、見限って出て行こうとする(NATO加盟)のを、嫌われた夫(ロシアの大統領)が必死に追いかけて取り戻そうとしている構図に見えます。仲良くヨリを戻すには、暴力をやめ自由を認め、反省してみずからを変えるしか方法はないのに。