ウクライナ戦争2-民間人を殺すな !

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写真はPixabayより

2022年3月19日現在、ウクライナとロシアとの戦闘員同士の戦いは、膠着状態だと報道されているものの、非戦闘員である民間人への爆撃はますます激しくなってきています。そもそも民間人は戦争とは関係がないのです。18世紀ごろまでの戦争は、主に戦士同士の戦いでした。主にと断ったのはもちろん例外もあって、蒙古帝国のチンギス・カンなどは、武器を持たない農耕民を襲撃し収穫物を略奪しました。彼は「男の楽しみは殺戮、略奪、強姦だ」と言ってます。日本での関ヶ原の合戦のイメージでは、武士が東西に別れて戦い、近隣農民はクワをかついで、近くの丘の上から髙みの見物といった感じでした。19世紀に入って、ナポレオン戦争の後ぐらいから、男子には愛国心が求められ、普段から軍人でない男達も戦争に参加させられることになったようです。それは一般民衆が階級闘争の末の革命によって、君主や貴族から自立し、国民意識が国家を成立させた結果、国家間の戦争は兵士だけにとどまらず、一般市民をも巻き込んで行くことになります。19世紀始めの戦争から、気球が偵察に使われ、やがてエンジンをつけた飛行機が登場すると、偵察からしだいに爆撃への試みがなされて1920年代には航空母艦が建造されます。第一次、第二次世界大戦は、都市を砲撃・破壊する戦争となり男女年齢関係なく、非戦闘員を殺戮する戦争になってしまいました。今回ロシアのウクライナ侵攻でも、プーチンは「虐殺され、しいたげられている人々を救うための戦争」だと言いながら、その人々を砲撃するという辻褄の合わない行為を行っています。太平洋戦争の終盤、米国ルーズベルト大統領はマンハッタン計画と称する「原子爆弾開発」を命じました。開発が成功すると、はじめての核実験から1ヶ月もたたない1945年8月6日、ルーズベルト病死後就任したトルーマン大統領は広島の市街地中心部へ原子爆弾を投下しました。さらにその3日後、長崎へもうひとつ原子爆弾を投下したのは、広島のウラン型原爆と並行して開発していたプルトニウム型原爆も試して見たいという意味がありました。戦争を早期に終結させるためとの言い訳ですが、生身の人間が生活している都市の中心部への投下は、人的被害の実験場でもあったのです。すでに日本外地では日本軍が瀕死の状態まで追い込まれていたにもかかわらずです。1945年3月に入ると東京、名古屋、大阪、神戸の人口高密度地域へと相次いで大空襲を行いました。米軍は沖縄上陸後、沖縄日本軍を壊滅させ、県民の死者は10万人近くに上りました。どう考えても、軍人同士の戦争ではなく、いかに多くの民間人に被害を出すかが戦争の目的になったとしか考えられません。世界史を俯瞰すれば、一面では争いの歴史でもあります。最初の武器は投石や棒、やがて太刀、槍から弓矢となり、銃という火器の発明はそれを所持するしないで、支配、被支配を明確に分けました。銃を持って現れた西欧人に対して、槍や弓矢で抵抗してもアフリカ原住民に勝ち目はなく、奴隷貿易を成立させました。アメリカ新大陸の発見、米国の立国も銃による先住民への駆逐によってなされました。武器は銃にとどまることなく、大砲、爆弾、地雷、ミサイル、核兵器へと移って行きました。いま、ウクライナではミサイルによる爆撃が主とした攻撃です。誘導爆弾は目標に正確に着弾する爆弾だそうですが、ロシア軍はそれを使い切ったのか、あるいは高価だからか(無誘導爆弾の10倍高価)、はたまたわざと無差別攻撃を企てているのか、圧倒的に多数の無誘導爆弾をミサイルで打ち込んでいます。結果は非戦闘員の想像を絶する惨状です。

こうなってくると、どうしても考えてしまうのは、「神」の存在です。この現状は神の意志なのか、神はいるのかいないのか。ひとはいつも神に祈ります。神に頼ります。しかし、このむごい状態は何なのか。宗教論、神学論に行き着きます。そして、戦場よりも遠くにいる我々は何をすればよいのか。攻撃を続けるロシア(プーチン)を非難したり声明を出したり、いくら宣言を出しても始まりません。しないよりはマシと言う程度の、犬の遠吠えのようなものです。避難民への食料、衣服、医療品などの支援はもちろん大切です。しかし、事ここに至っては、夜間の状態をトレースできるレーダーは当然のこと、世界はウクライナへの武器だけでなく、軍用機の供与も行うべきです。ウクライナ政府からの志願兵呼びかけに、日本では元自衛官を中心に70名ほどの民間人が応募しているとの報道があります。日本政府は応募を認めず、取り下げるよう呼びかけています。本気で支援するのなら、知らん顔して応募の黙認をすべきです。「憲法!憲法!」なんて言わずに、武器も含めた実効性のある協力が何よりも必要です。