お勉強って何だ

 

 

秀才って何だ ! お勉強って何なんだ !

私の年齢は、今年で79歳になります。振り返れば、悔いが山積みの人生です。

ただ、空しさはありません。困難と格闘し続けた人生、気持ちの片隅に、それなりに少しの充実感も残っています。

大きな顔して自慢できたことではないけれど、私は小学校以来、お勉強の成績はいつも、うしろから数えた方が早い方でした。基本的に、常に疑問を持っていました。お勉強って、何故しなければならないのか ? それはまた、義務教育への疑問、「どうして必ず学校へ行かなければならないのか ? どうして宿題なんてしなければならないの ? 」 遊びたい盛り、山や野原には楽しいことがあふれていました。加えて、小学校高学年のころには、テレビ放送が始まり、街頭テレビに始まって、ぼつぼつとテレビ受像器は各家庭に普及してゆきました。放送局は知恵をしぼって、面白い楽しい番組を流しつづけています。勉強しているよりも、テレビ見ているほうがずっと楽しい。私学の中学校に進むと、試験の成績上位者半分ぐらいの名前が、廊下の壁に成績順に張り出されました。学校としては、全生徒にお勉強を奮起させる目的だったのでしょう。私の名前は、そのなかに、もちろんありません。良い成績をとるにはどうすれば良いか。はっきりしています。遊ばないこと。テレビを見ないこと。予習、復習をする。つまり、したいことを我慢して、生活の時間の多くをお勉強に充てることです。廊下の壁に張り出された名前を見て、「コイツラ我慢してお勉強に取り組んでいるんだナ」と思っていました。我慢会です。もちろん中には、お勉強時間を確保しなくても、授業を聴いているだけで、飛び抜けて良い成績を取る奴もいます。試験前にも、私たちと一緒に遊んでいて、成績はいつもトップという奴がいました。しかし、これは論外。生まれつき、並の人間とは違うケタ外れの能力が備わっているのです。1年に何度もやってくる試験、試験、試験。名門大学へ入って、優良企業や役所、学校に就職して食いはぐれのない人生。そのためには試験試験、お勉強お勉強。・・・・・・これおかしくないか ?

お勉強が良くできた、お役人や議員達が考える制度、システム。何かマズイことが多いですね。マイナンバー・カードに至っては、お粗末そのもの。国民ひとりひとりに番号割り当てるだけで、四苦八苦している。みっともない。想像力の欠如としか考えられません。つまり、試験で良い成績をとる訓練を続けていれば、逆にもともと人間に備わっているはずの想像力が消えて行くように感じます。スポーツで勝つことに知恵を絞ったり、野山で昆虫や動植物の観察に没頭するほうが、よほど想像力また創造力が鍛えられるように思います。

名門大学に入り→サラリーマン養成学科で修学→就職後は挨拶回りと接待ゴルフ→豊かな年金生活。エリートさんよ、人生、充実していましたか。悔いはありませんか。この「営業」と名付けられた行為、ほとんど真の意味は「挨拶回り」です。わたしも零細企業ながら経営者のハシくれ、この「挨拶」にはほとほと閉口しました。まず、商売上の重要な相談や議論はほとんどありません。「世間話し」が中心です。名詞を交換し、世相や天候の話し、少し突っ込んでお互いの会社の内情、出身地、出身学校の話題です。「午後1時に伺います」と連絡があると、30分前には昼食を終えて待機、1時間話しして帰って行かれます。時には2時間に及ぶこともあり、午後3時までは他の予定を入れる訳には行きません。こうして1日のうち、2~3時間がつぶれるのです。何か意味のあるものが残ったか ? 残ったのは空しくも「よろしくお願いします」だけです。

青年の頃、誰でも自分の行く末、人生に大いなる不安を抱えています。その半分ぐらいは、貧困の恐怖です。食いはぐれないか ? カネに困らないか ? 戦国時代は、どの大将について行けば良いのか選択の良否、戦で知恵をしぼり、腕力胆力を鍛え、そして幸運に恵まれてなどなどが出世の条件でした。明治時代になって、それらの条件はことごとく消滅、誰決めることなく、代替え案として出てきた出世の条件は「お勉強」の出来不出来になってしまいました。慶応4年、松山藩秋山家、生活困窮のなか妻がまた懐妊しました。堕胎か産まれた子を「寺へやってしまおうか」と両親の相談を聞いていた10歳の好古が言う「赤ん坊をお寺へやつてはいやぞな。ウチが勉強してな、お豆腐ほど(の厚さの)お金をこしらえてあげるぞな」。これがのちに日露戦争で騎兵を率いた秋山好古、その赤ん坊が、海軍少佐として戦った真之の兄弟です。母は「貧乏がいやなら、勉強をおし」とも言い続けました(司馬遼太郎著・坂の上の雲より)。もちろん二人とも才覚に恵まれた人物であったのでしょうが、「お勉強」ができなければ、軍隊の重要な地位につけなかったことも確かです。ウクライナ戦争の戦況解説に、自衛隊の元指揮官がテレビ出演されます。皆さん入学難関の防衛大学出身者ばかりです。私が危惧するのは、「日本の防衛をこの『お勉強優秀』のひとびとに任せている現状は、大丈夫なんだろうか」というものです。1944年ビルマでのインパール作戦。立案、決行は牟田口廉也中将によるものでした。当時の指揮官も「陸軍大学」や「海軍兵学校」出身の超エリートばかり。しかし、作戦の中身は兵站を無視した幼稚な強行作戦でした。途中、命令を無視して現場から退却した、佐藤幸徳師団長によれば「我が師団の上には、『馬鹿の三段構え』がある。第15軍と、方面軍と、南方軍がそれだ。馬鹿を相手にボンヤリ待っていたら全員総死骸だ」とまで言わせ、他の資料によりますと「馬鹿の三乗」とまで述べたとなっています。現地からの食糧不足電報に司令部は「現地で調達せよ」との返信です。ジャングルや標高3~5000メートルの山岳で、どうやって食糧を調達するの ? これを机上の空論と言います。参加した日本兵9万人の内、死者2万人の多くは餓死と病死であり、撤退路は「白骨街道」と呼ばれて、のたれ死の死体が並ぶ惨状でした。世の中の多くのひとは「立派な大学を卒業したエリートのやることに間違いは無いだろう」と考えているようです。福島第一原発事故の翌日、原子力安全委員長M氏はヘリコプター上の隣席にいた菅直人首相に「原発は大丈夫なんです。(原子炉は)構造上爆発しません」と述べ、その午後、原子炉建屋が爆発したとき「アーッ」と言ったそうです。東芝は日本を代表する重電、家電、半導体メーカーです。2005年以降、N氏、S氏、T氏の3代の社長の下で、不正な会計処理が組織的に行われていました。中身を調べて見ると、この3人は自分たちが考え出さねばならない「会社の稼ぐ方策」を一般社員に「チャレンジ・チャレンジ」と言って求め、上手く行かないと、決算の数字を粉飾して公表し、誤魔化し続けたものでした。皆さん、立派な一流大学卒業のエリートたちです。

そもそも、人生のある時点で、安心の切符を手にしようと考えること自体が間違っているのです。「国立のT大学を卒業しているオレよりも、三流大学しか卒業していないアイツの年収の方が多いのはオカシイ」と言ったひとがいたそうです。私の高校の同窓会、元気で羽振りの良いのは、ヤンチャで成績の悪かった連中ばかりです。学校の成績と、世の中への対応力はまったく別物です。司法試験、建築士、税理士など、資格試験に挑戦するのは悪いことではありません。ただ、それに合格したからと言って、一生、食いはぐれがない、身分が保障されたと考えるのは間違いです。試験は単なる通過点。人間、生きていく上で、日々努力と苦労がつきものです。私も来年は満80歳。今の所、年金で生活できている結構な状況ですが、やはり難しい問題が次々に浮上してきます。人間、「安心」なんてことは、道路の「逃げ水」のようなものなのでしょう。

今日のブログは、成績劣等生だったDoiyanの吐露でした。