人口減少はそんなに悪いことですか-その2

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「人口減少」→「 大変だ ! 」という新聞記事を読んで、少し気になったことがあり、調べてみました。私が小学生の頃(昭和20年代)、先生から「日本の人口は1億人に近づいている。もうすぐ1億人になる」と聞かされていました。総務省の人口統計「国勢調査」によりますと、当時昭和25年の人口は8411万人余りとなっています。去年令和2年の国勢調査と比べて、少々驚きました。去年の人口1億2622万人強、なんとこの70年間で4211万人、50%もの増加です。昭和22年~24年生まれ、戦後のベビー・ブーム(団塊の世代)と呼ばれる人口爆発以後でのこの増加。イナゴやウンカではありませんが、大繁殖です。小・中学校では1学年50数人が6クラス。通勤、通学ラッシュ、電車のドアからひとがはみ出て入りきらない。駅員の朝の仕事は、ドアが閉められるまでひとを押し込むこと。デバートのバーゲン会場には買い物客が殺到し、商品の取り合い。受験地獄、中学といわず高校も試験に通るのが大変でした。ただ、大学受験では昭和30年代の進学率は高卒生の20%そこそこ。それでも狭い門を目指して、遊びたい年代に遊びを我慢して、受験勉強に励まなければなりませんでした。団塊の世代が受験をひかえて、大学の定員は大幅に増枠され、また次々に大学、短大が新設されましたが、受験は決して楽々とは言えない状態でした。つまり気がつかないうちに、ひとがどんどん増加し、大量生産、大量消費、大混雑、競争社会。これが高度経済成長と言われる日本の姿でした。気がつけば人口50%増、教育界、経済界を問わず、拡大拡大が習性となっていたのです。それが今、膨らんだ風船がしぼむように、人口減。電鉄、自動車、住宅、求人求職、あらゆる面で下降指向の風向きに慌てているのです。人口が50%も増加してきたこと自体、異常と捉えた方が良い。1票の格差なんて言って、人口が密集している選挙区では、過疎地域の選挙区と比べて票が軽いと文句を言うけれど、ならば過疎地へ引っ越しすれば良いではないですか。選挙権は、住民の意思だけでなく、その地域の意思をも代表する意味をもっています。いくらスカスカの選挙区から選ばれた議員でも、選挙人の代表であると同時に、地域の代表でもあるのです。自分の票の軽さに文句を言い、選挙区を分割せよと言う人は、高度経済成長、拡大拡大トレンドのヘキが抜けていないのです。ある極端な環境には、極端な動植物がはびこるように、この70年間の人口増は、よほど日本のなにもかもが、人間の生存に適していたとも言えるのです。イナゴやウンカ、プランクトンの大発生と同じです。ひとはイナゴやウンカにたとえられ、嫌な気分になりますが、そのひとつひとつの存在、個性が軽んじられるからにほかなりません。振り返れば、この70年間、こころのどこかにウンカと同じ没個性のヒガミがあつたのではないでしょうか。人口が減れば労働力が不足し、年金制度が成り行かなくなるというけれど、待機児童問題が解決に向かい、受験人口の減少は競争の緩和、食糧問題にもプラスです。基本的に人口増加時代とは、ひとをアタマ数として見る没個性の時代でした。このコロナ・ウイルス蔓延のなかで見えてきたのは、いまひとびとがやっている仕事の多くが、本当に必要な仕事なのかという疑問です。リモート・ワークだ何んだというけれど、なくても良い仕事を「仕事だ仕事だ」と言ってやっていたのじゃないのか。ひとが増えるとそうなります。英国の歴史学者、パーキンソンが、役所を観察して「役人の数は、仕事の量とは無関係に増え続ける」と結論づけ、「与えられた時間によって、仕事量はその時間をすべて満たすまで膨張し」「支出の額は収入額に達するまで膨張する」とするパーキンソンの法則、「役人の数は無限に増大する」を導き出しました。民間でも同じ、ひとが増えれば、必要不必要に関係なくひと数に合わせて「仕事」を増やして行く。自動車生産の工場映像、溶接ロボットが火花を散らして、ベテラン溶接工に代わって働いています。それをロボットに仕事を奪われたと文句を言うひとがいるのです。空いた時間を楽しんだり、もっと創造的な仕事に取り組めば良いのに・・・。ひとは困れば本気になって何とかします。介護で老人のベッド移動がつらくなれば、腕力アシスト・スーツを作り、アマゾン社の倉庫では、注文をうけた商品をひとが移動してカゴに入れるのではなく、カゴが移動して取ってきて、発送トラックに乗せます。人口減社会のアタマ数が減って困る仕事は、移民や外国人研修生で補うのではなく、知恵で置き換える社会の到来です。アタマ数が減って困るからと、ますます密集してはいけません。それは問題の解決を遠ざけ、新たな問題も引き起こします。タワー・マンションが林立しだすと、その地域の小学校教育体制や行政サービスが追っつかなくなり、迷惑です。拡大、拡大の時代から、拡散・ゆとりの時代へと流れは向かっているのです。