夜の戸締まり

前回のブログ「ウイスキーの誘惑」では、万葉時代、夜に男が女のもとへ通ってくる男女関係を述べました。古い時代のことで、現・近代とは無関係のことだと思っていました。ところが、大正から昭和のはじめにかけてまで、農村や山村では、この風習が残っていたようです。昭和55年頃だったと思います。私たちは、スキーに行こうと連れだって雪深い但馬地方へ出かけました。友人の実家に泊めてもらうことになり、就寝前にお母さんに「さあ、戸締まりをしましょう」と言うと、「戸締まりって ? そんなことはしません」との答えです。「玄関や窓に鍵をかけないのですか」と問うと「鍵はありません」と言います。「では、大阪や東京へ出かけるときは、どうするのですか ? 」「そのまま開けっ放しです。泥棒の被害に遭ったことはありません」「若い娘さんがいる家も ? 」「同じです」「ン・・・・・? 」。

司馬遼太郎の「街道を行く」シリーズ、「熊野・古座街道」編で司馬は、古座川渓谷出身のほぼ同年代の男性に「幼い頃、あなたの在所に『若衆組』はありましたか ? 」と問います。男性はいともさりげなく「ありました」と『若衆組』の説明をはじめます。数え十五歳で、親の家を出て加入し「若衆宿」で寝起きする。両親の監視から離れて、若衆頭の命令に従って生活する。どうやら、薩摩藩にあつた「郷中」と同じようです。もともとは神社の祭礼、火災の消火、道路や水路の補修など、若者の力仕事の必要から発生したものらしいものの、いつしかそれは団体生活となり、若者の教育機関の役割を担うことになったようです。「よばい」の風習も当然あり、それは若衆頭の監督下、卑猥なものではなかったといいます。各家は夜「戸締まり」などしない。モテる娘のもとへは複数の男が通ってくるけれど、妊娠したときには、誰が父親なのか娘に「任命権」があったと言います。合っていても違うと思っても「任命」された男に「拒否権」はありません。夜間、各家の台所にはいつも必ず、飯櫃に一膳分のメシが入れて置かれていて、「よばい」に行った空腹の若者は、台所に上がって自由にそれを食うことができたと言います。戸締まりをしたり、飯櫃を用意していない家は、火事など災害の時、消火に来ない、持山へ火を誘導されるなど、若衆組から仕返し「仇 ( アタン ) 」をされるのです。この話を読んだ時、私は泊めて貰った但馬の友人の家「戸締まりなんてしません」を思い出しました。司馬は、この「若衆組」の存在を、日本人のルーツの南方起源の証拠として取り上げています。それは氏素性を無視して、ひとを「平等」に扱うという、反儒教的な性質です。この「若衆組」や「よばい」が連綿として昭和のはじめまで続いていたことは、驚きでもありますが、万葉時代の風習は、決して現・近代と断絶されたものではないのだと思いました。思えば昭和30年代ぐらいまで、農村や山村には、「青年団」なる似た組織があつたことが、私の記憶に残っています。これらは日本史の裏側で、史としての資料にならずとも、古代から続いていた日本社会の背骨のように感じられました。私たちは歴史を見るとき、都会的な視点でのみ、とらえているような傾向があります。「若衆組」や「よばい」は都会では見られなくても、歴史の裏の部分では密かに続いていたのを認識した次第です。一方、江戸という大都会では、若者の性の受け皿として、「吉原」に代表される「花魁宿」とか「女郎屋」、「女郎宿」というものが機能していたことも間違いありません。古典落語には、「吉原通い」の話しが多く残っています。古今亭志ん朝は生前「吉原。あれはいい所だったネ」とため息まじりに述懐していました。古典落語の世界で「吉原」が無視できないテーマとして残っていることは、「花魁」や「売春」が江戸という大都会では若者の性の処理施設としてちゃんと機能していた、おおらかな時代があったことを知ることができます。売春防止法が施行されたのは昭和31年です。それは私が中学1年生の時です。中高一貫校に入学したてのころ、高校生たちが、名残を惜しむように閉鎖前の赤線へ出かけていった話しを、いくつも聞きました。「赤線」と言ってももはや死語になりつつあり、「女衒 ( ゼゲン ) 」と並んで、若いひとには理解できないかも知れません。高知出身で有名な女性の直木賞作家は自身を描いた小説のなかで、父親の職業が「女衒」だったと告白していますし、中島みゆきは「やまねこ」という歌の歌詞に「女衒」を使っています。オリンピック委員会で「女性委員の割合を増やせ」との意見に「女性が多いと、会議に時間がかかって仕方ない」と言っただけで、大騒ぎになるこの国では、いま「吉原」や「女郎屋」「赤線」「女衒」を話題にすることはとんでもないことだと思われるでしょう。しかし、若者の間にHIVや梅毒が広まっていることも無視できません。オフレコでも構わないので昔から続いてきた「通い夫」や「よばい」の存在を、社会の在り方として語り合うのも必要なことだと思います。うわべだけの「清く・正しく・美しく」の品行方正風潮では、人間の本性まで探ることができず、それは誤魔化しに見えてくるのです。