読後感「嫌われた監督」を読んで

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                        Wikipediaから

-落合博満は中日をどう変えたのか-  著者:鈴木忠平

前回のブログで「日本文化を覆っている霧について」を書きましたが、この本に見え隠れする「落合博満」という人物像から、文化のみならず、政治、経済、学術、芸術などすべての分野を覆っているおかしな風潮を、理解、解決するヒントが見えたような気がしましたので、紹介しようと思います。

雪の便りが届くこの季節、クルマのタイヤを冬用に代えなければなりません。自宅から勤務先までの道路に峠があるからです。いつものタイヤ屋さんでタイヤ交換をしてもらっているあいだ、向かいのレストランで昼食をするのが習わしとなっています。パスタを注文し、待っているあいだ雑誌に目を落とすと「嫌われた監督-落合博満」との随筆が目に入りました。短い文章ですが面白いことが書いてある。発売された単行本の著者が執筆したいきさつを書いた随筆でした。「落合の番記者を終えてからも、なぜか関心が消えなかった」と執筆の動機を述べています。「『誰かと繋がろうとも、理解してもらおうともしなかった』落合、その落合との緊張感が書くことへと駆り立てる」と・・・。帰宅後、早速その本をKindleで買いました。

スポーツ新聞の駆け出し記者だった著者が、2003年秋、まだ決定もしていない来期の中日ドラゴンズ監督候補、落合博満宅に「我が紙はあなたを次期監督として記事を書きますと」一方的な「宣言」を上司の命令で伝えに行く場面から始まります。本には、投手としてとっくにピークを過ぎた川崎憲次郎を監督就任1年目の開幕投手に抜擢する話。不動の三塁手立浪和義森野将彦に取って変わらせる話、それは遊撃手の井端和弘と二塁手荒木雅博を入れ替えて、肩に弱点があり一塁送球にミスをする荒木を遊撃手で使い続けた理由でもありました。福留孝介との打撃だけを通じたクールなつながりや、日本一を決める試合、8回までパーフェクトで投げていた大記録達成目前の山井大介を、9回表、岩瀬仁紀への交代させたドラマ。などなど、野球好きには興味深い逸話がたくさん載っていて、退屈せずに読める本でした。

現役時代の落合は、独特の打撃の構えを、バットを神主が顔の前に立てる笏(しゃく)という木の板を持つ格好にたとえて、「神主打法」と呼ばれたました。その打法のことをたずねられて、落合は「ロッテ・オリオンズ時代5年間ほど一緒に打撃練習をした土肥健二のスイングを真似た」と隠すこともなく言います。引き合いに出された土肥は「落合と打撃について話したことは一度もない」と困惑気味ですが、落合は「オレ流って、堂々たる模倣なんだ」と言って憚らない。著者が試合のない日、球場へ来て打撃練習を見ていると、落合が近づいてきて「何してる」と言うので「バッティングを・・・」と口ごもっていると突然「同じ場所から同じ人間を毎日見ろ。日を追って違いがわかるようになる。それを1年間続けろ。そしたら記事が書けるじゃねえか」と忠告を受けました。著者が書いた、危険球が招いた暴力事件に対する落合の意見を、デスクが勝手に自分の考えを加えた記事にしてしまった時、「誰かに同調し、頷くことをやめて、落合について考えるようになつた」と目覚めます。そこが著者の転換点だつたかも知れません。「なぜ、落合という人間は、今あるものに折り合いをつけることができないのだろうか」と疑問に思う著者が取材に行くと

「お前、ひとりか?」と確かめて、

少ない言葉で話しを始める。著者が立浪をレギュラーから外す理由を問うと、「選手ってのはな、お前らが思ってるより敏感なんだ。あいつらは生活をかけて、人生かけて競争してるんだ。その途中で俺が何か言ったら、邪魔をすることになる。あいつらはあいつらで決着をつけるんだよ」と理由など答えなかった。そのかわり、毎日観察していた三遊間の話をします。「俺のベンチの位置からは三遊間がよく見える。毎日見続けていると、昨日まで内野ゴロだつた打球が、ある日から三遊間を破られたヒットになる」「これは毎日見続けている俺にしかできないことだ。他の監督にはできない」。この言葉は、立浪をレギュラーから外す明確な答えだったに違いありません。この視点が立浪と森野を入れ替え、井端と荒木の二遊間を入れ替えた、こうして守備でも打撃でも選手を観察していたことになります。

2011年秋、中日ドラゴンズは、球団が来季の監督契約を落合としないと発表した翌日から突如勝ち続け、逆転優勝をやってのけます。この変化を何故だと質問した著者に「俺の退任発表前、巨人戦に負けただろう。その時、球団社長が球場内の通路でガッツ・ポーズをしたという噂が広がった。それからだよ、あいつら(選手)に火がついたのは」と答え、成し遂げた過去に微笑んで、満ち足りた表情だったという。つづけて「あいつら、俺がいなくなることで、契約がすべての世界なんだってわかったんだろうな」。そして球団を去る最後の試合の後、ベンチ裏で選手たちに言った「これからも下手な野球はやるなよ。自分のための野球をやれよ。そうでなきゃ、俺とこれまでやってきた意味がねえじねえか」と言葉を残して去って行きます。

著者は落合を取材した8年にわたつて関わった年月を「別世界の理を生きているような緊張感」の中に、勝敗とは別のところで、「人間とは、組織とは、個人とは」という問いかけがあったと懐述しています。時に落合の言葉を思い出し、年月を経て「ああ、こういうことだつたのか」と腑に落ちることがあるとも書いています。読後私が思ったこと、誤解を恐れずに言えば、落合のやり方は、(世間一般に流布しているやり方を一切捨てて、自分だけのやり方でやる)に尽きると感じました。私は小学生の頃から野球少年で、阪神タイガース・ファン。このトシまで阪神を見てきましたが、ずっと心底に流れている不満があります。それは「阪神の大いなる常識」をいつも感じるのです。現役、OB、電鉄経営者、ファン、スポーツ紙など阪神を取り巻くものが一体となって醸成したものに違いありません。これは落合流と対局をなしています。ひとときだけ、この常識がひっくり返されそうなことがありました。それは野村克也氏が監督に就任した時です。しかし野村が「大変なチームの監督を引き受けてしまった」と後悔していたのを思い出します。また「野村ノート」では「阪神の選手に理に基づいて戦おうといっても、なかなか伝わらない」と言う。元気だけで野球は勝てると考えているチームのムードを変えるのは至難の業でしょう。バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発があった1985年の優勝も「知」ではなく「元気」で勝った優勝でした。阪神常識の最たるものは「低めに投げていれば、打たれることはない」というものです。そしていつも低めを痛打され、四球がつづいて崩れたりしています。阪神の選手の中に、根強く共通の常識が流れているんだろうと思います。疑問さえもてば、分析すればわかりそうなものなのに・・・。中日に移籍してきた和田一浩が、キャンプで「打ち方を変えなきゃだめだ」と落合に言われ、「やろうと思ったら言ってこい。ただし時間はかかるぞ。それでもやるか」と言われ、バッティングの教えを乞うた時、落合の言葉の「理」とは、常識の反対側にあるということがわかってきます。スピード・ボールを打つために、スウィングを小さくしたとき「それじゃ逆に打てなくなる」と。落合は「大きく、ゆったりと振れ」と言う。やってみると不思議に打てた。「ゆったり振れば、ボールを長く見られる」というのです。おそらく落合は「常識を疑うことによって『理』を手に入れてきた」と、和田は落合の言葉の意味が腑に落ちたのです。この鈴木忠平というスポーツ紙の記者が、落合博満という不可解な人物の中心に漂っていて触れたエキスのようなもの。それは、いま、我々がもう一度評価し直さなければならない大事なもののように思えてきます。世の中が「これは、こうだ」「これは、こうだ」と決めつけている事柄、それは、「本当にそうなのか。違うんじやないのか?」と自然科学の探究原理のごとく、この読書はいつも考え直す必要があるような気がした体験でした。鈴木が駆け出しの記者だった頃、中年過ぎのベテラン記者に言われた言葉を書いています。「まず、疑わなきゃだめだ。そんなことはあり得ないと決めつける奴にニュースは取れない。スクープをものにできるのは疑い深い奴だけなんだ」と・・・・。みなさん、どうですか。そうなんですよね。

 

 

日本文化を覆っている霧について

 

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3年ぶりに歌の作曲をしたCDを発表します。きょうは主に音楽についてブログします。独断と偏見に満ちていますのを承知で読んで下さい。

永らく器楽曲を発表し続けてきましたが、3年前に歌曲CDを発表し、その流れでつづけて歌の作曲に取り組みました。あまり上手くないヴォーカルですが、自分で歌いました。誰か他人さんに歌ってもらう手もありますが、それは時間を喰うので今回も即席発表です。とは言え、なにしろトシで、長いフレーズはなかなか息が続きません。イイ歌い方はないかと思案していて、アイ・ジョージを思い出しました。私が高校生の頃アイ・ジョージがテレビで「ラ・マラゲーニア」を歌い、「マラゲーーーーーーーーーーーニア」とよくあれだけ息が続くなと、その声の出し方に感心した記憶がよみがえりました。便利な世の中です。当時のLP盤塩化ビニールに記録された音楽が、復刻版CDとして発売されています。早速Amazonで発注、「ベスト版」が翌日に届きました。いきなり6曲目の「ラ・マラゲーニア」をかけずに、まず1曲目の「硝子のジョニー」から聴きました。・・・・・ウーン「上手い!」。「歌が上手い!」。上手い歌はいろいろありますが、尾崎紀世彦的に上手い。しかも尾崎紀世彦よりも上手い。声楽の訓練を受けたかのような太い声。長く伸ばす部分の心地よいヴィブラート。逸品です。12曲すべて聴き終えて感動しました。

話が少し横道にそれますが「ヴィブラート」について一言。ヴィブラートはヴァイオリンやチェロの近現代演奏には必須のものです。同じ音を伸ばすとき、弦を押さえた指を上下させて音を揺らします。フルートなど木管楽器でも息をコントロールして行います。ヴォーカルでも同じですが、プロでも誤解している歌手が多々います。演歌歌手に多く、音程を幅広く上下させるのがヴィブラートだと誤解し、半音の半分ぐらいの音程差で上下させます。こうなるとこれはもう聴いていて気持ち悪くて仕方がありません。ヴィブラートはわずかの音程差とマンドリンの演奏のように、音圧の大小の震えをミックスしたものです。音程をあまり幅広く上下させると、外れていると感じるし、半音まで上下させると「トリル」になってしまいます。一時、ある童謡歌手もひどかったのですが、誰かの忠告を受け入れたのか、最近はマシになりました。いま思いつく素晴らしいヴィブラート歌手は、カレン・カーペンター、アンディー・ウイリアムス、コニー・フランシスといったところです。コニー・フランシスの「渚のデート」を日本語で歌った伊東ゆかりも上手い。美空ひばりも上手い。そしてアイ・ジョージ

少し横道にそれてしまいましたが、このひとアイ・ジョージ音楽学校で声楽の訓練でも受けたんだろうか、と調べてみると違う。混血児ですが、小学生までは裕福な環境で育っていたようです。太平洋戦争で父親が出征し境遇は一変、孤児になってしまいました。職業を転々、ボクサーも競輪選手も経験し「流しの歌手」に。一旦はテイチクからレコード歌手デビューをはたすも、続かず再度流しの歌手をしていた26歳、運良く大阪キタのナイト・クラブ「アロー」の専属歌手となってから売れ出しました。翌年から1971年までNHK紅白歌合戦に12回連続出場します。私がテレビで見ていたのはこの頃です。ここまでアイ・ジョージのことを書いたのは、実は現在の日本文化の現状と比較するためです。いま売れている歌ってどうでしょう。ラジオを点けていると、次から次へと歌が流れます。すべてほぼ同じ感じの曲、印象に残りません。やたらと乗りのいいリズム、それだけ・・・。歌詞も旋律も歌声もほぼ同じ。48(フォーティ・エイト)とか言ってテレビではダンスは上手いが、歌はお添えもの。特に日本人なのに、外人が日本語を話す時の話し方をまねた歌い方。あれは神経が壊れそうになります。ライブ・コンサートでは大音響と光と煙が交錯し音楽はどこへやら。音楽以外では、お笑い番組、タレントが受けようと言葉を発し続け、録音された笑い声が画面に流れるものの、ちっとも面白くない。先日亡くなった、柳家小三治の話術「クスッ」と吹き出すような味がないのです。美術の世界、映画の世界、広告の世界。音楽では最近のクラシック音楽の世界。どうにかしているヨ「日本文化」・・・・いや「世界の文化」も。いったいコレ何やってるの→つまり霧に覆われて本物が見当たらない。アイ・ジョージの歌を聴いて、久しぶりに音楽に浸った感触がよみがえりました。岸洋子という上手い歌手もいました。山田姉妹という素敵なデュエットもいますが、オリジナルの持ち歌がイマイチ面白くありません。曲の制作にもっと力を入れればいいのに。妹が妊娠したということで、それも心配です。他方、アイ・ジョージ坂本スミ子のバックで演奏していたナイト・クラブ「アロー」のバンドマンの皆さん、いまも「アロー・ジャズ・オーケストラ」として目立たないけれど活動しています。タイム・ファイブを聴きにいって、バックのアロー・オーケストラに感動しました。そのように、きっと歌の上手い歌手もどこかで、ひっそりと歌っているにちがいありません。嘆かわしい現状です。

私の歌はもうひとつだけれど、これからも歌詞、曲、編曲に精進しながら楽しんで活動していきます。いつの日にか、日本を覆っているこの変な霧が晴れるのを待ちながら。しかし、あきれたこの状態、長くつづいていますネ。

 

T前議員が落選した理由

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             ことしも柚子は豊作でした

 

庭の柚子が収穫段階をむかえ、3分の1ほど収穫しました。吸い物やうどんの吸い口にして、良い香りを楽しんでいます。

先般の衆議院選挙の結果により立憲民主党(以下RM党)の党首が辞任しました。私のブログはできるだけ特定の政党のことは書かないようにこころがけていますが、どうも評論家や政治記者のなかに、あの選挙結果を誤解しているひとが多いので敢えて書きます。ここに国民の政治に対する変化の潮流を感じるからです。政治活動をサボッていたベテランや大物議員が落選したのは当然です。そのなかで、日常活動が結構目立っていたのに落選したひとがいます。いままで大阪府T市とS町の選挙区、大阪10区から当選していた女性T前議員です。かねがね私はこのT前議員、国民の投票で選ばれた国会議員として、実に恥ずかしい存在だと思っていました。関西人としても恥ずかしく思っていました。T市に住んでいる後輩に、「Tのようなひとを選出している住民として、恥ずかしくないのか?」と以前言ったことがあります。「ウチの嫁ハンや、おバチャン達がファンになって推してしまうのです」と言うので「キミはどうなんだ」と言うと「恥ずかしい」と答えました。今回の選挙結果の風向き変化を、まずこの感覚で捉えてみてください。テレビの報道トーク番組などに出ている時のT女性は、そこそこデータなどを示してそこそこ普通の意見を述べたりします。まんざら根っからのバカでもなさそうです。ところが国会審議、特に証人喚問になると「なに?このひと」と言いたくなるぐらい品格の低い人物に豹変するのです。「あなたは疑惑のデパート」「疑惑の総合商社」とののしり「ヤバいと思ったんじゃないですか」と吊し上げる。これは審議でも質疑でも国政調査でもありません。プロ・レスリングです。最初から悪玉役と善玉役を決めておいて、善玉役が悪玉役をこれでもかと叩きのめすショー・ビジネスです。観客はヤンヤの喝采、溜飲を下げる。この善玉役をいったんやってしまうと、麻薬と同じでやめられないようです。思えば戦後以来、国会審議の一潮流として、脈々とこのプロレス・ショーは続いてきました。野党の質問者が大臣や官僚の落ち度、失敗、疑惑を声高にヤリ玉にあげて、こきおろす。立法行為でも審議でもなく、勧善懲悪、月光仮面鞍馬天狗よろしく、悪人をやっつける。もちろん放送のない委員会では地道な審議が行われ、国民に必要な法案が成立しているのですが。しかし、予算委員会など放送される審議では、このプロレス・ショーになってしまいがちなことは否定できません。このプロレス快感依存症におちいって、どんどん党勢を衰退してきたのが日本S党でした。55年体制と言われる2大政党時代、野党として大きな力をもち、60年安保法案時代の国会では与党のJM党を脅かす存在でした。あるJM議員が自嘲気味に「JM党は、戦後ずっと日本S党が要求する政策を5年遅れですべて実現してきた」と語っていたのが忘れられません。日本S党がそんな存在価値とは別に、いつしか勧善懲悪ショー依存症におちいり、尻すぼみ。今は昔の見る影もありません。先ほどの大阪10区選出のT前議員は、もともとこの日本S党出身で、このプロレス快感依存症が骨の髄まで染みこんでいるのでしょう。今回の衆議院選挙、RM党が議席を減らしたのは、日本K党と選挙協力をしたからとか、日本Iの会に無党派層を食われたとか言われますが、実は有権者がプロレス・ショーに傾いた政党に嫌気がさしている面を忘れてはいけません。RM党のなかには、このコロナ蔓延をうけ、困っているひと、根本対策などのために与党と首つきあわせて対応した立派な議員もいます。そんなひとは落選していません。政治評論家のなかには、RM党の党首選びに、「T前議員が立候補すべきなのに、落選したから残念だ」といったひとがいます。「おいおい、T議員が落選したことを、何ととらえているんだ。ピンボケ感覚もいい加減にしろヨ」と思ったのが今回、こんなチト政治的なブログを書いた理由です。いま国民も議員も、国会審議のプロレス・ショーから卒業する良い機会です。悪事や疑惑は、警察や検察が対応すべき問題です。国会で取り上げるから、司法が対応しなくなるのです。不正があれば、告発、告訴して、国会は適切に捜査されているかを監視すれば良いのです。相手をヤリ玉にあげて、善玉ぶって人気をとり、選挙を有利にしようという根性に、そろそろ有権者は飽きてきているのです。T前議員が落選したこと、RM党が議席を減らしたこと、日本S党が風前の灯火なのを私はそうとらえています。永田町の常識は国民から見て非常識。相手をヤリ玉に上げてプロレス・ショーを繰り広げるのを得意とするT前議員の落選を、好ましい政治の潮流変化ととらえるべきです。

 

 

プラスチックごみに鈍感すぎませんか

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白川の流れ               かにかくの碑

 

「かにかくに祇園はこひし寝るときも枕の下を水のながるる」

これは歌人・吉井 勇が詠んだ歌です。祇園町北側、新橋南の辰巳通り、白川のほとりに石に刻まれた歌碑があります。私の勤務地の横をこの白川が流れています。白川は、歌碑から100メートルほど流れると鴨川に落ち込み、そのさき淀川、そして海へと続きます。この白川にゴミを投げ込むひとがいるのです。先日、ゴミ回収の業者さんと話ししていると、「昔は生ゴミは畑に肥料として埋め、燃えるゴミはカマドや風呂の燃料(焚き付けと言った)にし、その他のゴミは川へ投げ捨てていたのです」と話ました。思えば昭和20年~30年代、街にほとんどゴミは落ちていませんでした。食料自体が不足していて生ゴミはほとんど出ず、燃えるものは貴重な燃料として拾って帰るから、道にはゴミらしいゴミは見当たりませんでした。それ以外のゴミは川へ投げ捨てたといっても、自然に分解されるものばかりで、量はわずかでした。ガラスや陶磁器は貴重で、少々欠けても使っていました。「江戸前」という言葉は、東京湾の「漁場」やそこで獲れる「魚介類」を指す言葉です。江戸時代になって江戸の人口が増えると、人間の排泄物をふくめた生活排水が海に流れ込み、その栄養で江戸前には魚介類が増えて、豊かな漁場が形成されました。循環型社会のお手本だったのでしょう。もちろん大阪湾も同じ事情で「佃煮」の語源となった摂津国の佃村や、多様な魚介類が水揚げされる明石は有名です。

ところが、昭和も高度成長期を迎え、便利な生活を作り出した反面、自然環境に多大な負荷を与えるものが登場しました。「プラスチック」です。気づかないうちに紙や木材に取って代わって、生活に浸透しました。都会のゴミ問題が浮上するのも、このころ昭和40年代からでしょう。いまも川へ不要品(ゴミ)を投げ捨てる習慣が残っているのでしょうか、不要なプラスチックを川に捨てるひとがいるのです。プラスチックは下流へ、そして海へ流れます。海に漂うプラスチックは、波や風や太陽の紫外線を受けてミリ単位の細かい粒になります。これを二次マイクロ・プラスチツクと言います。100年~200年かけないと消滅しない微細なプラスチックが海洋に漂ったり、海底に沈むと生物に与える影響は容易に想像がつくでしょう。魚の消化器だけでなく、その身や海鳥の筋肉にもマイクロ・プラスチックの蓄積が次々と報告されています。魚を食べられない日が来るかもしれません。一次マイクロ・プラスチックというのもあります。スクラブ剤と呼ばれる、洗顔料、ボディ・ソープ、歯磨きなどにその使用効果を上げるため混入されています。目に見えないほど小さなマイクロ・ビーズは使用後、下水道を下水処理場へ流れますが、うんと細かいので処理場のフィルターを通過してしまって海へ流出します。元々、自然由来であるクルミアプリコットなどを微細に砕いて混入していたのを、プラスチックに代えたのです。「コストを落として大量に売れさえすれば、あとは知らねえ」との意図が見受けられます。スクラブ剤に自然由来のものに代えて、プラスチックを入れるこの反社会行為、つまりこの鉄面皮思想が社会の基底に流れていて、自分が得る利益が社会に負荷をかけることを気にかけない風潮が、タバコの吸い殻、ペット・ボトルなどのポイ捨てにつながっています。マイクロプラスチック・ビーズはしだいに禁止へ向っていますが、当然で、混入を採用した経営者には刑事罰を加えるべきでしょう。

コンビニやスーパーのレジ袋が有料化されました。しかし、その価格は低くすぎます。回収、処分の価格が盛り込まれていません。ペット・ボトルも同様にコストを考えれば、自動販売機の飲料価格を1本500円~1000円位にする必要があります。飲んだ後ボトルを捨てても良い価格になっています。我が家には2.0Lのボトルが約10本ほどあります。中身を使った後、洗って使います。勤務先の井戸水を汲んで帰って、飲み水として使います。ときに名水と言われる神社の地下水を汲んできたりします。空のペット・ボトルは2年間ぐらいは十分使えます。酒買いは、瓶に詰めた清酒が売り出されるまでは、酒徳利をもって酒屋へ買いに行き、樽から徳利に酒を入れてもらうものでした。いま酒屋には100種類ぐらいの瓶詰め清酒が並んでいます。選択肢は拡大したのですが、飲んだ後残った瓶が環境に負荷を与えます。ガラス、陶磁器のゴミとして出さなければなりません。紙パックの清酒や焼酎が増えてきているのは、良いことです。世の中見渡せば、プラスチックであふれています。「安いから」「便利だから」はその分社会に負荷をかけています。大量生産、大量消費の時代は、「汚染」という大きな荷物を社会、自然に背負わせているのです。コンビニへタッパ・ウェアーか鍋をもって、おでんを買いに行くことを想像してください。不便です。しかし、トレイは不要になります。割り箸は森林資源の無駄遣いだとして、食堂などではプラスチック製の箸を使い始めました。あれは間違いです。割り箸は森林の「間伐材」で作ります。森林は間伐しなければ、それぞれの樹木が太陽光の奪い合いをして、結果貧弱な成木しかできません。割り箸は間伐材を使うことで、森林の生育に貢献しています。原発の電力は低価格だと永らく宣伝されてきました。しかし、福島第1原発事故を受け、安全対策費、事故処理費、さらに使用後核廃棄物の処分費がそっくり抜け落ちて、と言うよりは意図的にカウントされていなかったことがわかりました。ペット・ボトル、コンビニやスーパーの食品トレイ、レジ袋、化学繊維で作られた衣服、その他あらゆるプラスチック生活用品、すべて同じ構図→回収、処理費用が必要費用なのに抜け落ちています。自動販売機のジュース1本500円~1000円は、極端な計算ではないのです。

結局、プラスチックを製造する企業に、出荷した製品の完全回収と処理費用を負担させる方法しかありません。プラスチックの価格は上がります。社会にとってはそれが適正価格です。そうしていれば、原料として木材や紙由来の代替え品が、価格競争力をもって開発されてゆきます。地球温暖化にばかり注目が集まりますが、地球のプラスチック汚染も同じ重要な問題なのです。

 

[ 追加プログ ]

今朝(11月7日)、日本経済新聞朝刊の26面に「プラスチック、肥料原料に」という記事が載っています。3大学共同研究で、プラスチックから肥料の原料を作る試みなんだそうです。プラスチックを分解する方法、再利用する方法、更に同じような性質をもった、分解可能な代替え品をつくる研究が急がれます。それまでは、プラスチックの使用を極力減らす努力も必要です。

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人口減少はそんなに悪いことですか-その2

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「人口減少」→「 大変だ ! 」という新聞記事を読んで、少し気になったことがあり、調べてみました。私が小学生の頃(昭和20年代)、先生から「日本の人口は1億人に近づいている。もうすぐ1億人になる」と聞かされていました。総務省の人口統計「国勢調査」によりますと、当時昭和25年の人口は8411万人余りとなっています。去年令和2年の国勢調査と比べて、少々驚きました。去年の人口1億2622万人強、なんとこの70年間で4211万人、50%もの増加です。昭和22年~24年生まれ、戦後のベビー・ブーム(団塊の世代)と呼ばれる人口爆発以後でのこの増加。イナゴやウンカではありませんが、大繁殖です。小・中学校では1学年50数人が6クラス。通勤、通学ラッシュ、電車のドアからひとがはみ出て入りきらない。駅員の朝の仕事は、ドアが閉められるまでひとを押し込むこと。デバートのバーゲン会場には買い物客が殺到し、商品の取り合い。受験地獄、中学といわず高校も試験に通るのが大変でした。ただ、大学受験では昭和30年代の進学率は高卒生の20%そこそこ。それでも狭い門を目指して、遊びたい年代に遊びを我慢して、受験勉強に励まなければなりませんでした。団塊の世代が受験をひかえて、大学の定員は大幅に増枠され、また次々に大学、短大が新設されましたが、受験は決して楽々とは言えない状態でした。つまり気がつかないうちに、ひとがどんどん増加し、大量生産、大量消費、大混雑、競争社会。これが高度経済成長と言われる日本の姿でした。気がつけば人口50%増、教育界、経済界を問わず、拡大拡大が習性となっていたのです。それが今、膨らんだ風船がしぼむように、人口減。電鉄、自動車、住宅、求人求職、あらゆる面で下降指向の風向きに慌てているのです。人口が50%も増加してきたこと自体、異常と捉えた方が良い。1票の格差なんて言って、人口が密集している選挙区では、過疎地域の選挙区と比べて票が軽いと文句を言うけれど、ならば過疎地へ引っ越しすれば良いではないですか。選挙権は、住民の意思だけでなく、その地域の意思をも代表する意味をもっています。いくらスカスカの選挙区から選ばれた議員でも、選挙人の代表であると同時に、地域の代表でもあるのです。自分の票の軽さに文句を言い、選挙区を分割せよと言う人は、高度経済成長、拡大拡大トレンドのヘキが抜けていないのです。ある極端な環境には、極端な動植物がはびこるように、この70年間の人口増は、よほど日本のなにもかもが、人間の生存に適していたとも言えるのです。イナゴやウンカ、プランクトンの大発生と同じです。ひとはイナゴやウンカにたとえられ、嫌な気分になりますが、そのひとつひとつの存在、個性が軽んじられるからにほかなりません。振り返れば、この70年間、こころのどこかにウンカと同じ没個性のヒガミがあつたのではないでしょうか。人口が減れば労働力が不足し、年金制度が成り行かなくなるというけれど、待機児童問題が解決に向かい、受験人口の減少は競争の緩和、食糧問題にもプラスです。基本的に人口増加時代とは、ひとをアタマ数として見る没個性の時代でした。このコロナ・ウイルス蔓延のなかで見えてきたのは、いまひとびとがやっている仕事の多くが、本当に必要な仕事なのかという疑問です。リモート・ワークだ何んだというけれど、なくても良い仕事を「仕事だ仕事だ」と言ってやっていたのじゃないのか。ひとが増えるとそうなります。英国の歴史学者、パーキンソンが、役所を観察して「役人の数は、仕事の量とは無関係に増え続ける」と結論づけ、「与えられた時間によって、仕事量はその時間をすべて満たすまで膨張し」「支出の額は収入額に達するまで膨張する」とするパーキンソンの法則、「役人の数は無限に増大する」を導き出しました。民間でも同じ、ひとが増えれば、必要不必要に関係なくひと数に合わせて「仕事」を増やして行く。自動車生産の工場映像、溶接ロボットが火花を散らして、ベテラン溶接工に代わって働いています。それをロボットに仕事を奪われたと文句を言うひとがいるのです。空いた時間を楽しんだり、もっと創造的な仕事に取り組めば良いのに・・・。ひとは困れば本気になって何とかします。介護で老人のベッド移動がつらくなれば、腕力アシスト・スーツを作り、アマゾン社の倉庫では、注文をうけた商品をひとが移動してカゴに入れるのではなく、カゴが移動して取ってきて、発送トラックに乗せます。人口減社会のアタマ数が減って困る仕事は、移民や外国人研修生で補うのではなく、知恵で置き換える社会の到来です。アタマ数が減って困るからと、ますます密集してはいけません。それは問題の解決を遠ざけ、新たな問題も引き起こします。タワー・マンションが林立しだすと、その地域の小学校教育体制や行政サービスが追っつかなくなり、迷惑です。拡大、拡大の時代から、拡散・ゆとりの時代へと流れは向かっているのです。

東京地下鉄の路線名を変えてチョーダイ

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今年も柿と柚子が実をつけました。秋です。

先日、東京へ出張しました。新橋で用事をすませて、次に赤坂見附へ行こうと地下鉄神谷町駅へ入りました。さあ、どちらのホームからどちら向きの列車に乗ればいいのかわからない。Suicaを持っているので切符は買わずに入場します。駅員さんに「あのー、赤坂見附へ行きたいンですが」と問いますと「そちらのホームから乗って、霞ヶ関丸ノ内線に乗り換えてください」との答え。こんな田舎モン、別に珍しくないと見えて、涼しい顔して教えてくれました。さあ、頭の中で「丸ノ内線丸ノ内線と唱えます」。乗る方向がわかれば、霞ヶ関で降りるのはわかります。そこでどの路線に乗り換えるのか、田舎モンには難しい問題が浮上します。千代田、日比谷、丸ノ内、銀座、有楽町、田舎モンにはどれも同じ地域、同じ場所で区別がつかないのです。普段から地下鉄を常に利用されている乗客や、駅員さんの記憶の中で、路線名称はキチンと整理できているのでしょう。しかし、田舎モンにすれば、何でこんなに区別しにくい路線名をつけているんだろうと思います。馬鹿じゃないかとも思えてきます。地下鉄を掘り始めた時の方向を路線名にしたのかも知れません。「丸ノ内線!丸ノ内線!」とつぶやきながら、なんとか無事乗り換え、赤坂見附へ着きました。

東急電鉄の「東横線」や「池上線」、西武鉄道の「国分寺線」、「秩父線」の名称、東急は「渋谷」から、西武は「池袋」か「新宿」から。これはどこからどこへ向かって走っているのか大体わかります。西武鉄道池袋線新宿線のように、東京都内へ向かって終点の路線名称、これは郊外のひとからはわかりやすいかも知れませんが、川越線や飯能線(もしくは吾野線)とした方が、東京からどこへ行ってる電車かわかりやすいはずです。池袋と新宿の距離はしれています。それでこの際、提案します。「東京都市交通研究会」か「東京地下鉄路線名研究会」を立ち上げて、路線名の変更を検討されてはいかがかと思います。「丸ノ内線M」は「池袋・大手町・荻窪線」に、「有楽町線Y」は、「和光・飯田橋・新木場線」に、「日比谷線H」は「北千住-銀座-中目黒線」に、「副都心線F」は「和光・東新宿・渋谷線」に、「千代田線C」は綾瀬・大手町・代々木線」に、「半蔵門線Z」は「押上・大手町・渋谷線」に、「東西線T」は「中野・大手町・西新橋線」に、「新宿線S」は「本八幡・神保町・新宿線」に、「浅草線A」は「押上・日本橋・馬込線」に、「銀座線G」は「浅草・日本橋・渋谷線」に、「日暮里・舎人ライナーNT」はそのままか「見沼代・日暮里ライナー」に、「東京さくらトラムSA」は「早稲田・三ノ輪橋トラム」に変更検討いかがでしょう。

もうひとつ「京浜東北線」の名称。最初は私鉄が東京駅へ乗り入れてきてると勘違いしました。だから東京駅から新橋や浜松町へ行くとき、先に京浜東北線の大船行き列車が入ってきても、いつも乗らず山手線を待って乗りました。これには適当に乗って失敗した記憶がそうさせています。ある暑い夏、京都府田辺市にある一休寺の法事に参加し、京都へ帰ろうと近鉄京都線新田辺駅へ急いで歩きました。運悪く駅到着の前に列車は出たあとでした。駅到着まえに並行して走るJRの線路を渡ったのを思い出し、引き返して京都方面(と思ってた)へのホームに立ちました。JR京田辺駅はその頃、無人駅だった気がします。すぐにJRの列車が入ってきて、乗り込みヤレヤレと猛暑から逃れて安堵しました。ところが京都へ向かっているはずの列車が急に、大きな弧を描いて180°転回、逆方向へ向かいます。結局到着したのは、大阪の京橋でした。片町線が旋回して、180°逆へ走るのを知らなかった失敗です。この体験が、京浜東北線を避けていた原因になっています。浜松町へ向かったはずが、上野とかそれより北の東北方面へ向かっていたというのを恐れました。ですから、「京浜東北線」は東京駅を起点にして、「大宮線」と「大船線」に名称分割した方が良い。もちろん両線、乗り換えなしの直通は可能として。それにアタマに「JR」を付けて下さい。山手線と同じだと安心して乗れます。先ほどの地下鉄路線名も、中心駅を決めて、たとえば「丸ノ内線」は「池袋・大手町線」と「大手町・荻窪線」に分割して路線名をつけた方が良いかも知れません。交通問題に興味をお持ちの方、ご一考願います。

もうひとつ、閑話休題

先ほどみずからのことを「田舎モン」と表現しましたが、京都人のなかには「自分は田舎モンではない」と思っているひとが少なからずいます。なにしろ1100年近く「王城の地」だったのですから。なかには、明治天皇は東京へ「遷都されていない」。明治2年に「ちょっと東京まで行ってくる」と出かけられたままで、帰ってこられなかっただけだ→京都は首都のまま。東京は「田舎モン」だと。

しかし東京奠都と言って、国の統治機構、皇居など、明らかに国家権力は東京へ移ったものの、京都も首都のまま併存していると言うのですが・・・・。東京から新幹線で帰ってきて、自宅までタクシーに乗ると、街の暗さ、人車往来の少なさが目に付きます。「あ~田舎やなァ」と思います。田舎に住んでること、田舎モンなのは少しも恥ずかしいと思いません。それよりも東京一極集中、あのクレージィな活気、反面京都よりももっと田舎の過疎問題、さびれの酷さが気になります。その問題は、いずれいつかまた・・・・・。

人口減少はそんなに悪いことですか

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Wikipediaから

米国・ワシントン大の研究論文では「世界の人口は2064年の97億人をピークに減少に向かう」と予測。それ以後は予想以上の少子化が進むということで、世論は「さァ大変だ」となります。しかし、人口減少、少子化って、そんなに悪いことですか ?  私はむしろ、人口増加の方には「食糧危機」「超過密都市」「病疫の蔓延」などマイナスのイメージを強く持っています。特に発展途上国では「食糧不足」「乳幼児の飢餓、死亡」「資源や水の奪い合い、内戦」など、人口爆発によってもたらさられる悲劇があとを断ちません。人口が減少に向かって「大変だ大変だ」と困るのは誰か ? まず労働集約産業の経営者。次に役人と政治家。そして大量消費を経営の前提としている産業従事者( 広告、報道、出版なども含めて )。これら困る人々に共通する最大公約数は、人間を牛や羊など家畜並みに捕らえている点です。個々の個性や特殊性は関係ない。とにかくアタマ数が問題なのです。労働集約産業とは、人海戦術、多くの人間を奴隷、家畜のように使って、何かを作り出したり、売ったりする。個々の労働者の技能・知能は問わない。とにかく人手、アタマ数だから足りなければ、外国人労働者、移民で代替えを図る。単純労働を研修実習生などと偽って働かせるセコい方法を採る。インチキそのものです。

私は若い頃、石油ショックを経験しています。あの時得た教訓は2つ。「日本産業界のモーレツな省エネ努力」に驚きました。各企業が秘めていたポテンシャルの凄さに目を見はりました。1970年頃、「このまま石油消費が増え続ければ、10km間隔で中東から日本まで原油タンカーを連ねなければならない」と聞かされていました。中東戦争をきっかけに、1973年産油国は石油価格を70%値上げし、潤沢な石油輸入は不可能になりました。背に腹は代えられない。腹を背に代えられない。産業界はこぞって省エネルギーに取り組み、10年間ほどで以前使用していた石油の3割減、4割減で生産、生活が可能になりました。ガソリン1リッターで5kmしか走れなかった自動車を、1リッターで10kmも走れるように作りかえました。もうひとつは、あの時堺屋太一氏が話した言葉「どれだけ採掘しても、石油は枯渇しない」でした。石油は採掘しすぎて埋蔵量が減ってくると、採掘生産量は減ります。少ない石油の価格は上がります。すると上昇した価格の石油を買えるひと(会社)は減ります。つまり供給がどんどん減ると、需要(使用量)もどんどん減って、枯渇するまで採掘しつづけられなくなるとの論法でした。

あのとき学んだ教訓で考えれば、人口爆発→食糧不足→飢餓→栄養失調→大量死の図式は大量飢餓死→産児制限→人口と食糧が均衡する の法則が当てはまるかも知れません。もちろん大量飢餓死という悲劇がまっていますが、子供を産んでも食糧がなければ生きられないとなっては、産児制限の力が働くことは確かです。人口減少は怖くない。人口爆発が怖いと考えるのは、大量飢餓死という悲劇に突入するのが怖いのです。30万年の人類史のなかで、一貫して微増してきた人口ですが、英国の人口は産業革命以後100年で4倍に爆発増加したという数字があります。産業革命で移動、運搬、生産など人間の労働量が減った分、不必要になった人口は減ったのではなく、増えました。食糧が増え、楽ができてひとは増えました。この増加トレンドは人類にとって危惧材料です。しかし先進国においては、高学歴化、女性の社会進出などの要因で、出生率が下がり21世紀中に多くの国で人口が減るらしいのです。労働量は減って、人口も減る。喜ばしいことではないですか。発展途上国ではまだまだ人口が増え、食糧や豊かさを求めて国境を越える移民問題が大きな問題になってきました。先進国は移民を「ひとのやりたがらない労働」に置き換えようとはせず、発展途上国の人口増加を抑制する手立てを考える時期にきています。食い過ぎによって脂肪、血糖値、体重が増え、用もないのに血相変えてランニングして、体重を減らそうとしている人々を見ていると、先進国ではまだまだ食料、労働力(人口)が余っているのだと感じています。

A malnourished child in an MSF treatment tent in Dolo Ado.jpg

 

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Wikipediaから