読後感「嫌われた監督」を読んで

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                        Wikipediaから

-落合博満は中日をどう変えたのか-  著者:鈴木忠平

前回のブログで「日本文化を覆っている霧について」を書きましたが、この本に見え隠れする「落合博満」という人物像から、文化のみならず、政治、経済、学術、芸術などすべての分野を覆っているおかしな風潮を、理解、解決するヒントが見えたような気がしましたので、紹介しようと思います。

雪の便りが届くこの季節、クルマのタイヤを冬用に代えなければなりません。自宅から勤務先までの道路に峠があるからです。いつものタイヤ屋さんでタイヤ交換をしてもらっているあいだ、向かいのレストランで昼食をするのが習わしとなっています。パスタを注文し、待っているあいだ雑誌に目を落とすと「嫌われた監督-落合博満」との随筆が目に入りました。短い文章ですが面白いことが書いてある。発売された単行本の著者が執筆したいきさつを書いた随筆でした。「落合の番記者を終えてからも、なぜか関心が消えなかった」と執筆の動機を述べています。「『誰かと繋がろうとも、理解してもらおうともしなかった』落合、その落合との緊張感が書くことへと駆り立てる」と・・・。帰宅後、早速その本をKindleで買いました。

スポーツ新聞の駆け出し記者だった著者が、2003年秋、まだ決定もしていない来期の中日ドラゴンズ監督候補、落合博満宅に「我が紙はあなたを次期監督として記事を書きますと」一方的な「宣言」を上司の命令で伝えに行く場面から始まります。本には、投手としてとっくにピークを過ぎた川崎憲次郎を監督就任1年目の開幕投手に抜擢する話。不動の三塁手立浪和義森野将彦に取って変わらせる話、それは遊撃手の井端和弘と二塁手荒木雅博を入れ替えて、肩に弱点があり一塁送球にミスをする荒木を遊撃手で使い続けた理由でもありました。福留孝介との打撃だけを通じたクールなつながりや、日本一を決める試合、8回までパーフェクトで投げていた大記録達成目前の山井大介を、9回表、岩瀬仁紀への交代させたドラマ。などなど、野球好きには興味深い逸話がたくさん載っていて、退屈せずに読める本でした。

現役時代の落合は、独特の打撃の構えを、バットを神主が顔の前に立てる笏(しゃく)という木の板を持つ格好にたとえて、「神主打法」と呼ばれたました。その打法のことをたずねられて、落合は「ロッテ・オリオンズ時代5年間ほど一緒に打撃練習をした土肥健二のスイングを真似た」と隠すこともなく言います。引き合いに出された土肥は「落合と打撃について話したことは一度もない」と困惑気味ですが、落合は「オレ流って、堂々たる模倣なんだ」と言って憚らない。著者が試合のない日、球場へ来て打撃練習を見ていると、落合が近づいてきて「何してる」と言うので「バッティングを・・・」と口ごもっていると突然「同じ場所から同じ人間を毎日見ろ。日を追って違いがわかるようになる。それを1年間続けろ。そしたら記事が書けるじゃねえか」と忠告を受けました。著者が書いた、危険球が招いた暴力事件に対する落合の意見を、デスクが勝手に自分の考えを加えた記事にしてしまった時、「誰かに同調し、頷くことをやめて、落合について考えるようになつた」と目覚めます。そこが著者の転換点だつたかも知れません。「なぜ、落合という人間は、今あるものに折り合いをつけることができないのだろうか」と疑問に思う著者が取材に行くと

「お前、ひとりか?」と確かめて、

少ない言葉で話しを始める。著者が立浪をレギュラーから外す理由を問うと、「選手ってのはな、お前らが思ってるより敏感なんだ。あいつらは生活をかけて、人生かけて競争してるんだ。その途中で俺が何か言ったら、邪魔をすることになる。あいつらはあいつらで決着をつけるんだよ」と理由など答えなかった。そのかわり、毎日観察していた三遊間の話をします。「俺のベンチの位置からは三遊間がよく見える。毎日見続けていると、昨日まで内野ゴロだつた打球が、ある日から三遊間を破られたヒットになる」「これは毎日見続けている俺にしかできないことだ。他の監督にはできない」。この言葉は、立浪をレギュラーから外す明確な答えだったに違いありません。この視点が立浪と森野を入れ替え、井端と荒木の二遊間を入れ替えた、こうして守備でも打撃でも選手を観察していたことになります。

2011年秋、中日ドラゴンズは、球団が来季の監督契約を落合としないと発表した翌日から突如勝ち続け、逆転優勝をやってのけます。この変化を何故だと質問した著者に「俺の退任発表前、巨人戦に負けただろう。その時、球団社長が球場内の通路でガッツ・ポーズをしたという噂が広がった。それからだよ、あいつら(選手)に火がついたのは」と答え、成し遂げた過去に微笑んで、満ち足りた表情だったという。つづけて「あいつら、俺がいなくなることで、契約がすべての世界なんだってわかったんだろうな」。そして球団を去る最後の試合の後、ベンチ裏で選手たちに言った「これからも下手な野球はやるなよ。自分のための野球をやれよ。そうでなきゃ、俺とこれまでやってきた意味がねえじねえか」と言葉を残して去って行きます。

著者は落合を取材した8年にわたつて関わった年月を「別世界の理を生きているような緊張感」の中に、勝敗とは別のところで、「人間とは、組織とは、個人とは」という問いかけがあったと懐述しています。時に落合の言葉を思い出し、年月を経て「ああ、こういうことだつたのか」と腑に落ちることがあるとも書いています。読後私が思ったこと、誤解を恐れずに言えば、落合のやり方は、(世間一般に流布しているやり方を一切捨てて、自分だけのやり方でやる)に尽きると感じました。私は小学生の頃から野球少年で、阪神タイガース・ファン。このトシまで阪神を見てきましたが、ずっと心底に流れている不満があります。それは「阪神の大いなる常識」をいつも感じるのです。現役、OB、電鉄経営者、ファン、スポーツ紙など阪神を取り巻くものが一体となって醸成したものに違いありません。これは落合流と対局をなしています。ひとときだけ、この常識がひっくり返されそうなことがありました。それは野村克也氏が監督に就任した時です。しかし野村が「大変なチームの監督を引き受けてしまった」と後悔していたのを思い出します。また「野村ノート」では「阪神の選手に理に基づいて戦おうといっても、なかなか伝わらない」と言う。元気だけで野球は勝てると考えているチームのムードを変えるのは至難の業でしょう。バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発があった1985年の優勝も「知」ではなく「元気」で勝った優勝でした。阪神常識の最たるものは「低めに投げていれば、打たれることはない」というものです。そしていつも低めを痛打され、四球がつづいて崩れたりしています。阪神の選手の中に、根強く共通の常識が流れているんだろうと思います。疑問さえもてば、分析すればわかりそうなものなのに・・・。中日に移籍してきた和田一浩が、キャンプで「打ち方を変えなきゃだめだ」と落合に言われ、「やろうと思ったら言ってこい。ただし時間はかかるぞ。それでもやるか」と言われ、バッティングの教えを乞うた時、落合の言葉の「理」とは、常識の反対側にあるということがわかってきます。スピード・ボールを打つために、スウィングを小さくしたとき「それじゃ逆に打てなくなる」と。落合は「大きく、ゆったりと振れ」と言う。やってみると不思議に打てた。「ゆったり振れば、ボールを長く見られる」というのです。おそらく落合は「常識を疑うことによって『理』を手に入れてきた」と、和田は落合の言葉の意味が腑に落ちたのです。この鈴木忠平というスポーツ紙の記者が、落合博満という不可解な人物の中心に漂っていて触れたエキスのようなもの。それは、いま、我々がもう一度評価し直さなければならない大事なもののように思えてきます。世の中が「これは、こうだ」「これは、こうだ」と決めつけている事柄、それは、「本当にそうなのか。違うんじやないのか?」と自然科学の探究原理のごとく、この読書はいつも考え直す必要があるような気がした体験でした。鈴木が駆け出しの記者だった頃、中年過ぎのベテラン記者に言われた言葉を書いています。「まず、疑わなきゃだめだ。そんなことはあり得ないと決めつける奴にニュースは取れない。スクープをものにできるのは疑い深い奴だけなんだ」と・・・・。みなさん、どうですか。そうなんですよね。