ひとさまざま



昨日、やっと年賀状の宛名印刷ができました。明日25日までに投函すれば、元旦に配達されるとのこと、やれやれです。今年の初めもらった年賀状を、住所確認すべく繰っていますと、「年賀状は今年をもって終了させて戴きます」との言葉がいくつも出てきました。先方が年賀状の交流を中止するとの宣言に、こちらからしつっこく年賀状を出すのは、憚られます。世間様との交流を絶って生きる選択は、どうかと思うのですが、ひとそれぞれ、生き方、やり方はいろいろあっても構いません。普段から親しく交流している友人はともかく、年賀状はご無沙汰しているひとびととの、無事を確かめ合う交信です。ですから私は年賀状を大切なものと考えていますし、これからも続けて行きます。今朝、出勤するのにクルマのエンジンをかけると、カーナビが「メリー・クリスマス。今日はクリスマス・イヴです」とアナウンスしました。(余計なお世話だ)。私はクリスチャンでもありませんし、クリスマスなんて関係ありません。日本人って(どうしてこんなに節操がないんだろう)と思います。世間の風潮で、クリスマスを祝い、ハロウィンに仮装し、ボージョレ・ヌーヴォーにワインの出来を待ちわびます。春先、清酒の出来を心待ちにするひとは珍しく、立冬に口切り茶の出来を話題にするひとも少数です。日本人なら、ヌーボー・ワインよりそちらの方が大事じゃないの ? ひとの生き方にイチャモンをつけるようで申し訳ないのですが、「年賀状の打ち切り」もそんな感じがしています。良俗はそれなりに意味があり、続けるべきだと思います。関東地方に住んでいるある後輩は、「年賀状打ち切り宣言」をしましたが、そのあと年末か年始に必ず電話をかけてきます。別に迷惑でもありませんが、かけてきた電話に「お前、寂しいのか ? 」と言ったら、「アハハハ」と笑っておりました。

高校が一緒で、気の置けない仲間が集まり、毎年年末に「飲み会」をしています。今年も楽しくやりました。そんな中、「運転免許証の自主返納」の話題になりました。全員「後期高齢者」です。ひとりだけ自主返納をしたひとがいました。家族に勧められたからと言う訳でした。しかし、何となく寂しそうでした。これも私の持論ですが、運転できる内は運転した方が良いと考えます。健康面に問題が出て、運転できなくなっても、返納する必要はありません。健康回復後、再び運転可能になるかも知れないのです。返納してしまうと「あとの祭り」、もう一度取得するのはほぼ不可能です。(あの山の中腹から下界を眺めて見たい)とか(海が見たい)と思い、自分で出かけられるのは、何よりも「脳の衰え防止」です。また、自分が高齢者であることを自覚しますと、スピードは出さず、安全慎重運転をこころがけます。マスコミでは高齢者が起こした交通事故だと、派手に報道しますが、若者の無謀運転による事故の方が多分数が多いし、重大です。私の知り合いの弁護士さんは、91歳で運転していますし、ある茶道の96歳の先生は、京都から大阪まで運転して行かれたと、お家元で話題になっていました。これは意識と、意欲の問題です。このあたりに「老け込む」ひとと、元気なひとの差がありそうです。先日、運転免許の「高齢者講習」へ行ってきました。視力検査では、視野180度、30代の視力だと褒められました。無事故無違反を心がけて、まだまだクルマ運転して行きます。良いお年をお迎え下さい。