年賀状

 

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本日、ようやく年賀状が用意できました。明日、投函し元旦配送タイムリミット目いっぱいです。職業いまだ現役なので、取引先もふくめ600枚です。世話やきの性格もあって、学生時代のOB会関係も多数あります。パソコンの住所録ソフトのデータを整理していますと、ひとりひとりの顔と思い出が浮かんできます。加えて、歳が明けて年賀状をいただくとメッセージが書いてあったりして、旧交をあたためることになります。暮れの喪中ハガキももちろん、大切な消息の確認です。こうして後期高齢者にまでなると、昨年の年賀状あたりから「本年をもって年賀状はこれで終了させていただきます」がふえてきました。ひとそれぞれ、生き方考え方は自由です。年賀状を打ち切るひとを批難するわけではありませんが、折角の世間のひととのつながりを、断ち切るのはもったいないと感じます。さらに言えば、少々スネている感じもします。好意的に考えれば、世間とのかかわりを絶って、仙境に入る覚悟と見て見られなくもありません。孤独を選び、孤高の境地を求められるのなら良いのですが、お節介ながら(寂しくないんだろうか)と心配します。消息とは「手紙」の意味の別に「無事の確認」の意味もあります。遭難報道の時「消息が取れている」とか「消息が途絶えた」とか言います。「無事是吉祥」と言うように「事無きを得て」いるのは有り難いことなのですから。また、常日頃しょっちゅう会っている親しいひとにも、年賀状は出すものでしょう。「親しき仲にも礼儀あり」で新しい歳を迎えて、慶び合うのは良いことです。「衣食足りて礼節を知る」で歳が改まれば、襟を正して改まって挨拶しましょう。後期高齢者にもなると、親しかったひととも、疎遠になることが多くなってきました。これも良いことだと、わたしはとらえています。「小人の交わりは醴(レイ=あまざけのこと)のごとし。君子の交わりは淡き水のごとし」荘氏の言葉から「淡交」ということわざがうまれています。あまりにも親しくなりすぎて、しまいに喧嘩したり、マズくなったひとを見ていますと、そこそこ疎遠でいることは大切な人間関係だと感じます。疎遠であつても、年にいちどでも年賀状を出して、新年を祝い無事を確かめ合うのが、ながいあいだに培われた良き風習だと思うのです。