晩秋を迎えて

 

今年も柿の実が豊作でした。現代では砂糖という結構なものがあふれていて、チョコレート、ショート・ケーキなど、甘い食べ物に不自由はありません。昔の人にとっては、柿やミカン、リンゴなどの果物が甘い味覚を味わう、数少ない食べ物だったでしょう。

「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」(正岡子規)。

子規は柿が好物だったと伝えられています。私が我が家に柿の木を植えた経緯は、2019年12月6日のブログに記しました。もう1本ある渋柿は、収穫後に皮を剥いて吊し柿、天日干しにします。水分が抜けると、干葡萄のように甘さが増します。モグモグ、種と実を口の中でわけて、種を出して実を食べます。熟れた甘柿も美味しいけれど、干柿はもっと甘くて美味しい。ただ今年は、柚子の結実には失敗しました。トシがゆくとターミナルに近いマンション暮らしが便利だ、と引っ越すひとがおられますが、果実の結実は、ネコのひたいほどの狭い敷地でも、土地付きの住まいの楽しみです。ひと、それぞれ、生き方もそれぞれ。自分の生き方を一方的に声高に宣言するつもりはありません。わたしのささやかなツブヤキとしてこのブログをお読み下さい。

年賀状は今年で終了という生き方には、2019年12月3日、「トシを重ねるごとに」のブロクに意見を述べました。もうひとつ気になっているのが「運転免許証」の返納です。今回、癌の手術を受け、しばらくは自足歩行も困難な状態でした。少しヨボヨボと歩けるようになった時、クルマの運転移動が実に結構なものだと気がつきました。タクシーもバスもクルマ椅子も可能ですが、慎重に慎重に行うクルマ運転の移動に勝りません。身体障害者の方々が、クルマ運転をされ、駐車場には障害者マークの描かれたスペースが設けられています。身体が少し不自由だと自覚していれば、運転はより慎重になります。障害者の障害が原因で事故を起こした事例は聞き及びません。入院中、クルマ椅子に座り、押してもらって病院の中を移動していました。実に楽です。しかし、それに甘えていると、自足歩行ができなくなると感じました。クルマ椅子は、麻薬の誘惑を持ち合わせています。障害者マークと高齢者マーク(正式には高齢運転者標章)のついたクルマのノロノロ運転と共存する交通社会の到来を自覚し始めました。96歳、ある茶道の先生が京都から大阪までクルマを運転して移動されたことが話題になっていました。当方がお世話になっています弁護士さんは90歳で、運転されています。潮時があるのでしょうが、それまで慎重に運転して、他人様の手を患わさずに移動するのが高齢化社会の姿だと思います。もう少しすれば、事故防止の半自動運転クルマの出現も近いと見ています。これから、電気や水素で動く、いろんなクルマが出てくるのに、運転免許証の返納は、楽しみの放棄です。

朝夕の気温が低くなってきました。何よりも有り難いのが電気毛布です。テント掛けで登山をした経験者は、岩の上、石の上、土の上で寝るのがどんなに辛いか知っています。特に冬山登山、雪の上で寝ます。寝袋を通して背中へ冷たさが伝わってきます。20分ごとに冷たさで目が覚めることになります。海水浴で浮かべるエアー・マットを敷いて寝ても、寒さは上がってきます。新聞紙を揉んで下着と服のあいだへ入れるとややマシになります。それでも寒い。昔の人、布団の上で眠ることができたのは、多分上流階級だけだったでしょう。庶民は、羽織っていた衣類をかぶって、板の間か良くて畳の上にじかに寝ていたに違いありません。寒い冬、敷き布団の上に電気毛布、そして羽毛掛け布団。これほどシアワセなことはありません。晩秋から冬にかけて、電気毛布で暖まった寝床に入るたびに、シアワセを実感するこの頃です。