ウクライナ危機

 

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福島原発事故-資料

昨夜はよく眠れませんでした。ウクライナへのロシア侵攻はすでに一週間に及びます。首都キエフ、東部の都市でも戦闘が激化し、ロシア軍は進撃しつづけています。18歳から60歳のウクライナ男子は民兵として銃を持って戦っています。戦いが一週間にも及びますと、食料や武器弾薬、燃料などの補給が気になります。3日目ぐらいに食料品が店の棚から消えた映像がありました。欧米諸国から食料と武器弾薬が補給されると報道があったものの、それは誰が、どのルートで、どの交通手段を使ってと心配になります。兵士だけでなく、女性、老人を含む民間人も大勢取り残されています。気温は夜、氷点下になるようです。トラックなのか鉄道なのか、どうやって運ぶ。運搬中に攻撃は受けないのか。心配すればキリがありません。また、都市を取り囲んだり、道路に隊列を組んでいるロシア兵たちも、同じく武器弾薬、食料はどうしているのか。後方からの補給はあるのか。そして、これが戦争なんでしょう。インパール作戦、補給なしにビルマのジャングルで壊滅した日本軍の悲劇を思い出しました。マニラ市街戦アメリカ兵がつぶやいていた言葉も思い出します。「戦争をオッ始めた奴に戦争をやめさせるには、そいつをこの最前線に連れてくることだ。弾の飛んでこない後方から命令を出していては、戦争の悲惨さはわからない」と。この時、後方から命令を出していたのは、ダグラス・マッカーサー。以前、日本兵からマニラを追われた時、くやしさ余って吐いた言葉が「I shall return」です。マニラを奪還する彼の意地のために、民間比人10万人、日本兵1万2千人、米兵1千余人が死にました。

このブログを書いている現在(3月4日)、ロシア軍がウクライナ原子力発電所を攻撃し始めたというニュースも入り始めました。原発に着弾すれば、チェルノブイリ原発事故の10倍の被害が出るとウクライナは警告しています。世界では民主主義体制国家と専制義体制国家の対立が際立ってきました。冷戦時代は資本主義体制国家と共産主義体制国家の対立という図式でした。資本主義が自由主義に言い換えられ、専制主義国家は共産主義だけではなくなりました。と言うより、純粋にマルクスレーニンが標榜した、土地や生産設備を所有する特権階級から、農奴や労働者を解放するという根本理念はどこかへ行ってしまい、逆に国家の正義が一部の独裁者に利用されて、権力の集中を招いて専制主義に国家が乗っ取られている現状です。この自由主義専制主義の対立は、宗教戦争の様相を呈し、相手の立場をまったく理解しない構図です。宗教戦争は、自らの正義(神)と相容れない正義(神)を全否定、一神論による排他性は歩み寄りなど不可能です。宗教戦争は収拾が付かないと言われる所以です。頭の上に押し頂く神(信念)の相違は、相手を邪教すなわち悪として、まったく許容性を持ち得ません。

加えて、肉食を中心とする人々は、得てして血の気が多く、闘争心が強烈です。日本人のように草食・魚食中心で生きてきた民族のように、「和をもって尊しとなし」得ないのです。ウクライナの男性たちが、武器を手にして勇敢に戦い、隣国からも戦うために自国へ戻る姿を見ていると、その捨て身の姿に感動すると同時に勇ましさを感じます。これはそうなってみないとわかりませんが、国土侵略や身に危険が及んだ時、日本の男性たちがはたして、武器を手に積極的に戦うかどうか、考えてしまいます。これは私のように平和な時代をノホホンと生きてきて、もはや戦場へ駆り出される恐れが少ない、後期高齢者が偉そうに言えたものではありませんが・・・・・。この相容れない対立、有効な解決方法はあるのでしょうか。

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鴨川の鴨の群れ-日本は平和です