アメリカの分断

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私はブログでは極力、政治に関して意見を述べないようにしています。が、きょうはひとこと。奇しくもこの1月1日にアツプしたブログ「オリンピックやるのですか」で述べましたことが、いま、アメリカの大統領就任をめぐって展開されています。のこり2週間しかない大統領の解任まで検討されているようです。トランプ氏は選挙の不正を訴え、それを指示するひとびとが議会に乱入、暴力沙汰、警察官との衝突で死者まで出ています。民主主義のシステムは、意見の対立を投票によって解決しようとしますが、投票に負ければ勝った方の意見に従うルールのはずです。分断、対立ここに作用するのは、相手と自分、敵と味方というとらえ方です。アメリカは移民で成立した国家、民族のルツボです。どうしても我が民族の利益を前面に立て、対立しやすい構図ではあります。共和党民主党、支持する(あるいは自分の利益になる)候補者と、相手候補者。ここに敵・味方にわかれて攻防合戦の様相を呈します。大統領選挙のキャンペーンがお祭り騒ぎに見えるのはそのためです。1964年東京オリンピック(このブロク1月1日版参照)マラソンで私が感じた「ナショナリズム」はこのことでした。我が国と相手国。我が党と相手政党。阪神ファンと巨人ファン。ここに政党政治の限界、悪弊が見えます。本来、議員は党派で選ぶべきではなく、候補者の考え方や資質で選ぶべきで、選挙には候補者自身が持つ意見が大事です。○○党の公認を得て、選挙カーで候補者の名前を大声連呼したり、握手しまくったり、党幹部が応援演説に駆けつけるなんて、そんな選び方をやっているかぎり、議員の質も民意も向上しません。民主主義をもう一段昇華させて「対立する意見の片方に自分の意見、利益を持ち込まず、他人事のように冷静に分析し、妥協点、解決案、はたまた別のやり方を討論によって導き出す」境地に到達しなければなりません。

ただ、コロナ禍という国難にさいして、ちょっと良い萌芽もみられます。いま、日本の国会では、与野党合同で「国民のためのコロナ対策」を練っています。党利党略や立場をこえて、「この感染拡大をなんとかしなければ。困っている人を助けなければ。医療崩壊を阻止しなければ」と法律や政策を党派を超えて打ち合わせしています。これが一段昇華した、少し理想へちかづいた民主主義ではありませんか。国難のとき、党利党略を脇におき、鳩首相談、打開策をさぐるのは、良い状態に思えます。それぞれが我を通し一歩も引かない。押し合い、怒鳴りあいのアメリカ国民のように国を分断せず、良識にしたがって冷静に話し合うのが、少し上等の民主主義だと思いませんか。もう、国会答弁のやり方を変えましょう。演説はもう飽き飽きです。本当の意味でディスカッションがひつようです。