シベリア抑留

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氷楔クラック地形(Wikipediaから)       つらら

一年で今が一番寒い季節です。私は、寒さに弱い。体全体、特に手足を冷やすと指、耳たぶなどに霜焼けを発症します。体を温めていても、気温が低いと指先が割れ始め、ひび割れになって痛みます。高校時代、一時山岳部に参加し、豪雪の中で1週間、テントを張って寝たことがあります。氷点下15度。朝、起きるとテントの所々から氷柱が垂れ下がり、水ばなも凍って氷柱のようになります。そのつらさは、言葉では言い表せない程のものです。ここからは、悲劇の話しです。政治的な意図はありません。しかし、悲劇の被害に遭ったひとびとには、許せない出来事だったに違いありません。

先日年末、BSの歌謡番組で少し以前のVTRが流され、二葉百合子という老婆が「岸壁の母」を歌う映像を見ておりました。「 ♪ 母は来ました 今日も来た この岸壁に 今日も来た・・・・」。聴いていてふと思ったのは、( この歌、スターリンに聴かせてやりたいナ → いやいや、大国ソビエト連邦の復活を懐かしんで励んでいる、プーチン大統領にも聴かせてやりたいナ ) と。丁度去年の年末は、ソビエト共産主義国家建設、膨大なる(69年間)実験の失敗・崩壊から30周年記念と報じられていた時期と重なっていたので、シベリア抑留をやったスターリンの悪行を思い出しました。韓国の「慰安婦問題」や「徴用工強制労働」も問題かも知れないけれど、それどころじゃない、「シベリア抑留」はもっと大問題です。ソ連は太平洋戦争終戦1週間前、瀕死の日本に、日ソ中立条約を破棄して宣戦布告し参戦、満州帝国、日本領朝鮮半島北部、南樺太、千島列島へ侵攻しました。その7日後日本はポツダム宣言を受諾し、敗戦します。敗戦時、外地にいた軍人民間人を問わず日本人50万人(一説には60万人かそれ以上)が、ソ連国内にあった約70カ所の収容所へ貨車で送られました。当時の日本人口の約1%ちかくにあたり、今で言えば富山県人口の全員ぐらいに該当します。スターリンは運河建設など公共事業を行うにあたって、囚人や侵略地の住民、捕虜を使い、強制労働を課して遂行するのを当然のことと考えており、スターリングラード戦によるドイツ人捕虜6万人のうち、強制労働による死亡者数は5万人強(90%)ちかくに及ぶと言います。日本敗戦時の外地在住日本人を連行、強制労働を当然のこととして行いました。乏しい食糧事情や劣悪な収容環境による死者の大量発生などは一顧だにせずに。厚生労働省が把握している資料では、氷点下40度極寒のシベリアでの強制労働で、飢えと過労により約6万人が死亡したことになっています(米国研究者の推定死亡数最大34万人)。最長抑留11年間。

詳しく調べたわけではありませんが、ソビエト連邦成立までの共産主義革命を概観すると、レーニンは一貫して強硬な「暴力革命」を提唱しつづけました。1905年に血の日曜日事件が発端となって始まった「ロシア革命」ですが、「プロレタリアードと農民」の革命という名のもとに、資金確保には銀行強盗も容認、1917年の二月革命帝政ロシアが倒れると、母体のボリシェビキが躍進、武装蜂起、貴族と正教会の土地を国有化します。レーニンは「この革命を確実にするためには、「恐怖と暴力が不可欠」と提唱して、翌年に組織したチェーカーによって反政府人員、数万人(一説には14万人)を処刑させます。1919年には各地に収容所をつくり、強制労働をさせました。そして1922年暮れにソビエト社会主義共和国連邦=「ソ連」が成立しました。レーニンはその約1年後病死しますが権力闘争の末、あとを引き継いだのはスターリンでした。スターリンの悪名高き「大粛正」は反革命罪を着せられた政敵や、彼が行った「農業集団化」に反対した農民を「富農」として銃殺し、その数は数百万人にのぼると言われ、正確な数はいまだに把握されていません。世紀の大実験とも言える「ソ連」国家でしたが、その始まりから銃殺や収容所での強制労働で成り立っており、それは敗戦時、日本外地にいた日本人にもスターリンが平気で行った行為でした。革命を主導したレーニンにとって、「プロレタリアードと農民のための革命」という錦の御旗の前には、帝政ロシアも政敵も正教会も、「正義」に対立する「悪」でしかありませんでした。

私たちには、この狂気としか見えない行為も、行う人間が信じる「正義」にてらして当然のこととなり、ここに「正義」の恐ろしさが内包されています。「国民が豊かになってシアワセではないか」と広言する中国政府の「正義」は、ウイグルチベット、香港の自立は、現体制を揺さぶる「悪」であり、ミャンマー軍の「正義」、シリア政府の「正義」、タリバンの「正義」、ロシアのウクライナに対する「正義」、パレスチナ紛争当事者の「それぞれの正義」、北朝鮮の「正義」の前には、民主主義国の非難や国連決議は通じません。我が日本も軍国日本の「正義」で邁進した歴史もあり、この「正義」という錦の御旗は厄介なものだと思えてきます。昨年11月17日のブログでも書きましたが、政治の世界に「善玉・悪玉」「正義」を持ち込むと、「国民のため」のつもりが、あらぬ方向へむかってしまう危険をはらんでいます。議論、理論とは「双方の意見を熟慮すること」につきるのではないかと思えてきます。一方の論理・正義を声高に主張し、突き進むだけでは「罵り合い」「殺し合い」が続くだけです。幸福と平和の前提として、双方の立場を理解してから、ねばり強く協議を重ねることが必要だと感じます。一方的に自分の「正義」で行動すれば、結果は悲劇を招くだけ。日本人の良き伝統「和」を再認識してゆきましょう。降る雪を見ながら「シベリアはもっともっと寒かろうナ」と思いながらブログしました。