インバウンド & パンデミック 白書

 

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何かイヤな感じがする。普段での生活とは違和感を感じる。話し方も行動もけたたましくて、土足で座敷へ踏み込まれているようだ。インバウンドと称して2年半前まで押し寄せていた外国人観光客に、日本人の多くはそう感じていたに違いありません。他方、そんなことは、どうでもよろしい。簡単にカネを持ってきてくれる有り難い客だと、千載一遇を謳歌していた業者もたくさんいました。これはブームと呼ばれる社会現象でした。何かが急に流行りだし儲かりだすと、日本人はそこへ殺到します。戦後だけでも、次々にブームはやって来ましたが、どれもそれに無関心でいて、参加しなければ特段影響は受けませんでした。しかし、インバウンドだけは、周囲に迷惑を掛けまくります。私の暮らす京都では、ホテルの利用許容量が逼迫し、次々と新築されるホテル用地の奪い合いで市街地の地価は高騰、固定資産税は上がり、市民の台所・錦小路市場や神社には外人があふれ、立ち食い、ゴミ捨てが横行、観光地ではレンタル着物店が軒を並べ、市バスは一日乗車券を握りしめた客を満載して走っていました。異常でした。イヤだなと思っていました。何か悪いことが起こりそうな予感がしていました。世の中には嫌われても平気なひともいます。また、そのひとがかかわってくると、病気や不幸が発生する事態もあります。面と向かって口にはしませんが、死に神のような感じを受けることもあります。2年半前まで、そんな人々と否応なく付き合わなければならない不愉快な状態でした。別にインバウンド目当てに商売をしていたのではなくても、迷惑を被ります。祇園町ではカメラを構えて舞妓を追い回し、帯や袖などを触ります。一日中通りを、車付きのスーツケースが音をたてて行き交います。いつか死に神がやって来そうな感じがしていました。

来ました。

武漢で手に負えない、厄介なウイルスが人間のあいだで蔓延しはじめると、まずそのことを隠蔽し、次にヒトヒト感染は起こらないと言い、大量の肺炎患者が死亡しはじめても、そんな病気はないとシラを切り、罹患した人々が春節祭で世界中を移動してこのパンデミックを引き起こしました。これが少しはまともな国で始まったのなら、初期に何とか押さえ込めたていたかも知れません。その後、自国開発のワクチンを、開発途上国にもったい付けて恵み与え、我が国はこのウイルスを押さえ込んだと、記念展までやる始末。そもそも、この迷惑を世界にバラ撒いたのは、誰なんですか。責任は誰が取るのですか。

インバウンド特需は蒸発し、コロナ蔓延でホテル、飲食店の倒産廃業が頻発しました。

そもそも、簡単に開業できすぎます。陶器磁器を売る店、竹細工や扇子を売る店など、かっては商品を自家で制作して売っていました。今は販売であれレンタルであれ、業者から仕入れて店頭に並べれば商売成立です。もっとひどいのは、売れてはじめて仕入れ代金を支払う、売れるまでは店頭に委託で並べているだけというのもあります。料理店というのは、普通10年も20年も修行を積んだ料理人が、食材を厳選し、調理技術を駆使して作った料理を提供するものです。ステーキ・ハウスや焼き鳥屋が乱立していますのは、こう言っては失礼ながら、大した調理技術はいらないからです。焼くだけです。焼き肉屋は客が自分で焼いて食べてくれます。営業許可は簡単に取れ、その気になれば明日からでも商売できます。大手居酒屋チェーン店では、ほとんど調理済みのものを仕入れて、注文があれば温めるだけで出しているようです。そうでなければ、あれだけの多種類のメニューがあり、注文から数分で出てくるわけがない。ある会席料理店に、弁当屋から転職してきた若者が、入店初日、「エッ。料理って一から作るの ? 」と驚いたといいます。以前の店では、できあがったものを買ってきて、弁当箱に詰めるだけだったそうです。「こんなことしていれば、儲かりませんヨ」と言うので、ご主人から「料理屋が儲かる商売だと思うことが間違いだ ! 」と叱られた逸話が残っています。ホテル、旅館は旅行者が夕刻から翌朝まで生活するところです。食事、入浴、排泄、就寝など快適に提供しなければなりません。病気や怪我をするひともあり、それに対処もしなければならない大変な商売です。宿泊施設を建設し、あとは運営会社にまかせる。これ、安易に考えすぎていませんか。簡単に開始できる商売は、簡単に閉店してしまいます。平時に戻れば、また雨後の竹の子の乱立です。

職人仕事が少なくなりました。一般のひとは、職人仕事と簡易仕事の区別をしなくなりました。週休2日制、祭日連休の増加、「休め休め」の号令で、面倒な仕事から逃げるようになりました。安ければ良いという風潮、値打ちのあるものを大切に使うことを時代遅れだとする風潮が日常化しています。コロナをバラ撒いた国は、かつては労賃が安いという理由で、世界の工場だなんておだてられ、それはまた世界中に価格競争という弊害をバラ撒きました。永くつづくデフレーションの圧力は、あの国から出ています。インバウンドの反省は、コロナ・ウイルス蔓延の責任追及に通じます。死に神と早く縁を切って、本来のわれわれの国の姿に戻るべきです。カネになるのなら、何でもやるという、卑しい生き方でこころ豊かな人生が送れる訳がありません。

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