裁判体験記

裁判の当事者を体験されたことがありますか ? 長い人生、私は3度裁判を体験しています。幸運にも刑事裁判は体験せず、すべて民事裁判、うち1つはみずから提訴したもの、つまり原告で、2つは訴えられたもの私は被告でした。今回のブログは裁判の体験記。裁判とは双方の主張が真っ向から対立し、争うものです。ですから、このブログで述べる私の意見は、片方の当事者の意見、相手方の立場に立って私の主張を公平に見るも、批判しても構いません。当事者としての私は、自分が主張した意見を述べますので、そのつもりで読んで下さい。

1番目は、私が経営する会社の近隣に住む女性(オバサン)が、当社の敷地に立っている木の落ち葉が、自宅前に飛んできて、それを毎日掃除して「腱鞘炎」になったと損害賠償を求めてきました。当社とその隣の土地所有者、道の向かいの土地所有者3者に対する賠償要求でした。最初の損害賠償請求額は少額だったので、簡易裁判所が提訴を受け、私たち3者に呼び出し命令、それに応じて出頭しました。隣の土地所有者は、弁護士が代理人、当社と向かいの土地所有者は本人が出頭しました。部屋には調停員なる男性1名、女性1名が向かいの席に座り、私たち3人は提訴の説明を受けました。「賠償請求を受け入れて、支払いをされますか ? 」「いやいや、その木の葉っぱが、ウチの木から落ちたものだとどうして証明できますか ? 」などなど押し問答が続きます。水掛け論が延々と続き、隣の代理人弁護士は怒りはじめ「アンタたち調停員では、はなしにならない。裁判官を入れろ ! 」かくして次の調停では、2名の調停員に1名の裁判官を加えた3名と、被告人3名との調停になりました。日を改めて再開、ある程度はなしに区切りがつくと、被告人3名は別の部屋へ移され、待機。入れ替わって原告と調停員との話し合いが続きます。これが何度も繰り返され、うんざりし始めた頃、部屋へ呼ばれると意外な展開になりました。「原告はあなた方3者に1億円の損害賠償を求めると言っております」。私は(えー ? )と驚いたのですが、隣の弁護士はニヤリとして、ポケットから弁護士手帖を取り出すとパラパラめくり「1億円を請求するには、訴状に50万円の印紙を貼らねばならない。裁判に負ければそのカネは返ってこない。あのオバサン、そこまでやれないよ」と耳打ちしました。かくして私たちは「要求を拒否します。調停を打ち切って本訴に移って下さい」と宣言し、その後本訴になることもなく終わりました。原告のオバサンはいつしか、引っ越しをされて居られなくなりました。

2件目は私自身が起こした裁判で、原告でした。市を相手取って、「固定資産税が高すぎる」と訴えた行政訴訟でした。土地価格を市の固定資産評価委員会はどのように評価しているのか、しっかり勉強しました。見えてきたのは、市のズルいやり方でした。土地価格を評価するには、その近隣の実際の土地取引価格を参考にして、ポイント地点の土地価格を決めます。しかし、売買された土地をすべて参考にするわけではありません。市は高く取引された価格を参考にして、安く取引された土地価格は無視しているようです(森田義男 著 「公示価格の破綻」水曜社発行 参照)。かくして、一般人が考えるよりも高価格の評価になります。そもそも、近隣の土地取引価格をすべて一般人が知ることは不可能です。ここに、評価委員会の悪意の恣意がまかり通ります。加えて、当方の土地評価額と、塀ひとつ隔てた隣の評価額には306倍の開きがありました。考えられないことですが、当方の土地は「宅地」、隣の土地は「山林」という地目評価でした。当方の土地には建物と庭園、隣の土地にも建物と庭園。隣地の所有者は、そこでペンションを経営しており、敷地に対する建物の割合(建ぺい率)は、当方よりはるかに高いのに、どうして「山林」なのか、何度も説明を求めつづけましたが、「長年にわたる地目に従っている」としてまともな回答はされませんでした。不動産登記上の地目と、固定資産税評価上の地目は別とされており、「現状により決定する」となっています。この真逆地目は、不思議なことです。

1審の判決文は支離滅裂、(これ裁判官が書いた判決文 ? )とあきれました。「市の評価額は妥当」となり私は敗訴しました。高等裁判所へ控訴。2審の高裁では1度の審理をしたあと、裁判官は「もう、いいだろう」と言って弁論の打ち切りを促します。当方の弁護士さんは「続けるには、新たな論点を提示する必要がある」と言います。しかし「こちらが提示した多くの論点に1審判決は応えてないではないですか」と不満でしたが、「その答えがあの判決です」とのことでした。2審も敗訴、3審すなわち最高裁判所へ上告しました。「以後、当該訴訟は最高裁判所が審理します」との文面が届き、淡い期待を抱いたのですが、「この係争は憲法問題ではない」との文面が来て、上告棄却、3審も敗訴となりました。当方の弁護士さんは「塀ひとつ隔てて、評価額が306倍の差。これが憲法問題でなくて何なんだ ! 」とため息をついたあと、「なぁ、こんな問題は日本中にいっぱいある。ひとつ行政側敗訴の判決を出せば、日本中がひっくり返ったような騒ぎになって、立法からやり直さなくてはならなくなる。これが世の中だよ」。そうして行政訴訟は敗訴しましたが、次の年度から土地の評価額も税額も、かなり下がっていました。こんなうるさい奴とは、喧嘩はしないほうが良いとの意図を感じたものです。

長い人生にはいろんなことが起こります。また、会社経営をしていると、どうしても当事者同士の話し合いでは解決がつかず、司法の判断に委ねる事態が出できます。当社が建てたマンションの隣接家屋所有者から、「部屋を覗かれる、プライバシー侵害だ」「目隠しを設置しろ」との要求がありました。弁護士に相談したところ「隣接家屋とは距離が空いていて、問題なし。隣家とのこの距離はOKの判例が出ています」とのことでした。ところがそのひとは、モメごとに拘わるのが趣味なのか、何度も当方へアポもなく訪ねてくる、電話をひっきりなしにかけてくるひとでした。そして、代理人弁護士を使わず、自ら地方裁判所へ提訴しました。裁判所への提出証拠書類など、素人がやるものですから、やり直しが続き、何しろ時間がかかります。前回の行政訴訟では、裁判全てに私は出廷しました。しかし、論点は、開廷前に当事者双方が、ファクシミリで裁判所へ送って、法廷では次の開廷日を調整するだけなのを学習しておりましたので、この裁判は弁護士に任せて、出廷はしませんでした。判決日が近づいて、被告人論述の日があり、私ははじめて出廷、そこでは堂々と「法的に目隠し設置の義務はないと考えます。原告の要求には応じません ! 」と大声で述べました。裁判長の質問にも躊躇なくはっきりと答えましたので、当方の若い弁護士は「100点満点だ ! 」と褒めてくれました。ただ、ここまでダラダラと膨大な時間を浪費しております。温厚そうな老裁判長は原告を法廷の外へ出した後、私に「アナタ。少しだけおカネ出すつもりはありませんか ? 」とたずねました。「少額なら出します」と答えると、私と弁護士たち被告を外へ出したあと、原告と相談し、次に呼ばれて入廷しますと、わずかの金額で調停が成立しました。調停を拒否しても、判決で勝訴する自信はありました。しかし、長い長い裁判で、当方の弁護士費用はかさんできております。勝訴しても判決後、高裁へ控訴されて、またまた何年も裁判が続くと、弁護士費用だけでも堪ったものではありません。先方は手弁当で趣味のように楽しんでいます。私は調停で折れて、少しですがおカネを支払い、決着しました。

裁判に至りませんでしたが、もうひとつ、税金をめぐるおかしなことを体験しております。私の親が昭和62年に死亡しました。半年後、相続税を支払ったのですが、それから2年ほどして、国税庁が税務調査にやってきました。「故人が生活していた部屋を見たい」と言います。立ち会ってくれた税理士がOKを出しました。国税庁職員2人は部屋へ入るなり、押し入れ、机の引き出し、書類入れ、あちこちを開けて調べはじめました。私は叫びました。「ちょっと待て。令状を持って来い ! 。これは強制捜査ではないか」。故人が生活していた部屋は、死後そのままにしていました。職員は書類などを調べ始めたのです。税理士によると、多くの遺族はこのような警察的行為に驚き、「縮み上がって何もできなくなる」と言います。強制捜査をするには、裁判所が発行する「強制捜査令状」が必要なのは当然のことです。「令状を持って来い ! 」と私が叫んだ後、職員の態度がガラッと変わり、勝手なことはしなくなりました。税務調査が進み、書画骨董の鑑定となりました。美術倶楽部から4人の鑑定員が派遣され、1点づつ鑑定して行きます。この絵は○○円、この絵は・・・・。私はつぶやきました。「結構な値段がつくものですナ。そんなに高額なら、この税金は物納で支払います」。すると鑑定員の手が止まりました。国税庁職員は「それは困ります。現金で納税して下さい」と言います。「この絵は○○円なんですネ。それに税率をかけて税額が決まるわけでしょう。それならこの絵は○○円の現金と同じではないですか」と応じました。物納を持ち出すと、それ以後の鑑定価格はこころもち安く評価されだしたように思えました。鑑定が完了して、税額が決まりました。私は物納で支払うと引き下がりません。すると職員は値引きを持ち出しました。税額が少し下がりました。そこで税理士は、私に目配せをしました。私はトイレへ行くと言って一旦部屋を出て、戻ると、税理士先生は言いました。「今日行った鑑定は、今現在の書画骨董価格です。故人の死亡時期の価格を決めなければならない」。死亡時昭和62年以後、バブルで日本中が沸き返っていた最中です。「現金で納税してもらえるのなら、税額はこの半値でどうですか」と国税庁職員は持ちかけてきました。「ドンブリ勘定 !  バナナの叩き売り ! 」これが最終結論でした。

日本国は法治国家です。すべての係争、徴税などは法律に従って厳密に処理されるべき建前のはずです。私の乏しい法律体験は、ひとことで言えば、非常にアバウトなものでした。これが、社会に通用している法治国家日本の「法の支配」なんだと呆れながら認識した次第です。もうひとつ、私が裁判で係争中だと知ったある友人は、私が何か悪いこと、恥ずかしいことをしているかのように見下しました。社会の風潮として、世の中には、法律を盾にして争うことは、浅ましいとか、みっともないとか、考えるひとも多いようです。当事者にとっては、実に真剣な主張のぶつかり合いです。裁判は恥ずかしいことではありません。「和をもって尊し」とできれば良いのですが、「和」に至れない事態が起きるのが世の中です。法律とは、法治国家の市民にとって、大切に使うべき当然の権利であります。