誰がそんなことやらすねン

私たち、中小企業、零細企業が大手企業と取引しているとき、驚くような、あきれるような過酷な条件を突きつけられる時があります。「こんなこと、誰が言わすねン」とボヤきながら、いつも行き着く結論、それは「カネ(ゼニ)が言わすンや」となります。同じく「こんなひどいこと、誰がやらせたンや」も同じ結論「これはカネがやらせたンや」・・・・。21世紀に入って、20世紀の反省から「強欲の資本主義」なんてテーマで行き過ぎた資本主義の検証が盛んです。

さて、前回のブログに続いて、地球危機のはなしを続けます。

地球温暖化」に続いて撮りためていた番組「ゴースト・オブ・オイル廃抗井が危ない」は、石油、天然ガス掘削のため掘られた井戸が放置され、地中からメタン・ガスなどが湧き出てきている報告のドキュメンタリーでした。廃抗になった北海油田では、海底からメタンガスが30年にわたってブクブクと泡になって噴出し続けています。米国ロス・アンゼルス郊外の天然ガス油田から6万8000トンのメタンが流出しました。また爆発が起き、家屋が破壊され、火災も起きています。砂漠の真ん中で、塩水が噴出。現出した湖で硫化水素が噴出しつづけ、危険で近づけません。ベンゼンなども出ているようです。これら、おびただしい数の油井が放置され、水や油が噴出しています。1980年テキサスで、突然幅100mの陥没孔が出現しましたし、2022年には砂漠に間欠泉が吹き出しました。これら主に米国の廃抗井を取材した番組ですが、北極海北海油田の廃抗、中東などの廃抗でも同じ状況が起こっているようです。油田やガス田を廃抗するには、多くの国では、正式には地中から何も出てこないようにする処理が必要とされています。しかしそれには費用がかかるため、ほとんどの井戸は、休抗としてそのまま放置されているようです。そしてそれら井戸を所有する会社は、やがてどこかへ売却され、挙げ句の果ては倒産して、そのままになります。私は17年前、家業の敷地に水を流す必要から、業者に依頼して井戸を掘ってもらいました。私の意識では「せいぜい5mも掘れば井戸が出現」と思ったのですが、業者の見積金額は100m掘る計算でした。高額の見積金額に驚いている私に、業者は言いました。「1億円用意できませんか?」。

「ンンッ」眼を白黒させていると「1億円かけて1000m掘れば、間違いなく温泉が出ます。客を呼べますヨ」と言います。「温泉は論外。この金額で100m掘って水が出なければどうする」と言うと、「150mまでこの金額で掘ります」と自信たっぷり。結局94mまで掘ったとき、地下水が噴出し、業者は「儲かった」と言って、くみ上げポンプをプレゼントしてくれました。その後、家業は町中へ移転して、また井戸を掘って、30m掘削したところで清水が出て、それを飲料水などに利用しています。井戸を掘るイメージ、30m、50m、100mと地中深くを想像するのですが、10階建て、20階建て、30階建てのビル高と同じ距離の深さを思うと、( 地球に対して、こんなことしてイイのか ? )と正直、後ろめたい気持ちになりました。

1956年製作、ワーナー映画「ジャイアンツ」。テキサスで、ジェームス・ディーン扮する大牧場で働く下男が、女主人の遺言により、小さな土地を相続します。その土地で石油を掘り当てて大富豪になるはなし。苦労をして石油を掘り当てた時、亡くなった女主人の弟、対立していた大牧場所有者の前に、原油まみれの姿で現れ「これから俺は、お前とはケタ違いの大金持ちだ ! 」と悪態をつくシーンを思い出します。テキサスでは、こうした石油成金が油井を掘り続け、結果おびただしい数の廃坑が残っているようです。「誰がそんなことやらすねン」。→「カネがやらすねン」。そう、これらはすべて「カネ」がやらせた行為、放置された廃坑も、その行為にほかなりません。

産業革命という、ひとびとを幸福に導いた革命も、時が経ちその行き過ぎた所業は、気がつけば地球に、人類にたいへんな負債を背負わせています。明日を今日と変わらず呑気に生きて行くために、人間が自然(地球)にしてきた事を「ま、イイか」と眼をつぶって過ごして行くのも、ひとつの生き方でしょう。しかし、自然は着実に人間の身勝手な行動に、静かに反応し続けています。自然からのシッペ返し、倍返しはいまの私たちが打撃を受けなくても、子供の代、孫の代、その先々には大きなダメージになって返ってくる気がするのです。

桜の満開が過ぎ、花びらが散り舞っています。開花が年々早くなっているような気がしてなりません。