政治とは何だ ! 選挙とは何だ !

アメリカの大統領選挙2024年のニュースを見るたびに、(何かおかしい)、(政治本来の姿から外れている)と、気持ちの底で、ずっと感じ続けてきました。いやいや、前回の2020年、その前の2016年からそうでした。もともと米国大統領選挙は、お祭り騒ぎ、スポーツの応援合戦のような様相を呈します。国民は選挙そのものを、ゲーム楽しむような面がありました。その反面、過去の選挙には前面には出てこないのですが、理性的で良識的な芯の強い筋金のようなものが、裏面にピンと強く貫かれてきたように思えます。それは、米国民が世界の警察官、自由主義国家のリーダーとしての意識を強く持っていたからに違いありません。選挙の目的が、勝ち負けそのもののようになってしまったのは、2016年のT氏の登場からです。その伏線は、2008年に初の黒人系の大統領O氏の当選が影響したのかも知れません。

米国の影響で、日本の選挙も同じように、勝ち負けが大目的で、「その裏に流れていた大切なもの」が消えて行きつつあるように感じます。

政治とは何でしょう。選挙とは何でしょう。投票とは何でしょう。単に、自分の利害・損得に影響し、それを達成するための行為という、そんなに単純なものなのでしょうか。それならば、スポーツのファン投票や、株主総会の投票と変わりません。自分が所属する会社であれ、地域の集団であれ、国家であれ、その方向・方針を決めるとき、ひとはどうしますか。各自が、自分の損得、利害のみを声高に叫んでいては、全体の方向は定まりません。この損得・利害優先の考え方が今、政治の世界を支配している「分断」の基です。組織や社会や国家といった「全体」を考えるとき、時には自分の利害・損得に反することであっても、「賛成に」まわらなければならない局面が出てきます。これが社会的な理性というものではないでしょうか。

確たる主義や主張、理想ももたず、とにかく「大統領になりたい」「当選したい」という欲求のみで立候補すると、「有権者の大半の損得とは何か」だけを追求してしまいます。まるで魚釣りをする時に、「どんな餌にたくさんの魚が食いついてくるのか」が選挙の目的になってしまいます。あれこれと、得票に有利な施策を並べて、ひとつひとつ取り上げるものですから、首尾一貫性がありません。支離滅裂です。そろそろ、「利害」優先になってしまった政治・選挙から「利害」を消し去るべきです。米国の大統領選挙を見ていると、「我の利益」と「我の利益」が衝突しているだけ、世界の未来が、危なっかしくて見ていられません。政治学者の先生方、報道に携わる方々、政党に所属する議員さん達、ここはひとつ再考をお願いしたい所です。

この「利益優先」と、まるでスポーツの熱狂的なファン投票のようになってしまったアメリカの政治状況に、アンチ・テーゼ、反省の萌芽を見つけました。小さな動きですが、米国では1943年に米軍が製作した映画「Don’t be a sucker  欺されるな」が注目され、再評価されているようです。これはヒトラーの片腕だったナチスの宣伝相、ケッペルズのプロパガンダに、米国民が影響されないようにつくられた教育映画です。ケッペルズは言います。「自分は狂気と熱狂の扇動者」であり「大衆は論理より感情だ」と・・・・・。労働者に豊かさの実感を与え「彼らが正気に戻らないようにする」ことが大切だ。第二次世界大戦中に、ナチスプロパガンダに対抗するため作られたこの映画は、「多民族国家にナチのような主張が上陸すると、社会の断層が広がり分断に陥る」「ナチは国家を機能不全に陥れるため、偏見を武器として使った。一人ずつ少数派を攻撃し、一人ずつを切り離した。彼らは互いに疑い合い、憎しみ合うライバル集団に分裂した。私たちの国にあのようなことが決してあってはならない。人種や肌の色、宗教によって私たちを分断させてはならない」と述べています。現在米国で、この教育映画が注目されているのは、描かれている当時の状況と現在の状況が恐ろしいほど似通っているからに違いありません。「1943年制作のこの映画は、政治的分断を目的とした憎悪の蔓延を憂慮し、それを映画にした」と評価されているのです。これは、米国に残ったわずかな良心のカケラなのかも知れません。現在、衝突を繰り返し続けている米国国民に、いつかこの意識の大切さが反省を促し、浸透していくことを願っています。