
令和8年 明けましておめでとうございます。
新しい年を迎え、ブログを書き始めて6年余りの年月が経ちました。このところ私の毎年の年賀状、空白スペースに、
「心境・近況はhttps://doiyanneko.hatenablog.com」
と書いた細いシールを貼り付けています。いつもブログに綴っている私の心境・近況を読んでいただく魂胆、まことに手抜きではありますが、おのおの皆さんへのメッセージを兼ねさせていただいております。
昨日、大晦日。所用があって、「京の台所」、中京区の錦小路へ行ってきました。暮れの錦小路は、おせち料理など正月の食材を買うひとびとで賑わう町です。話に聞いてはおりましたものの、雑踏の半分ぐらいはインバウンドの外国人です。「店の前に立って、あるいは歩きながら、トレイの食べ物を串で刺して食べている外国人がいっぱい」と聞いておりましたが、意外に立ち食いしている外国人は少ないようです。商店街の工夫なのか、各店の知恵なのか、今までは、通りに面した軒先には商品を並べ、店の内部では調理やレジ作業などをしている形態が多かったのですが、今は、店の内部を改装して、長椅子やカウンターを設置し、そこでモノを喰わせる方法を採用している店が多くなっています。中に座ってモノ喰っているのはほとんど外国人です。漬物屋や乾物屋、胡麻を専門に売る店など日本人相手の店は、このスタイルは採らず、今まで通りの店形態です。その隣、合間合間に、店奥に椅子を設置しているのは、まさにインバウンド客を狙った新店。いままでなかった、「握り寿司」「串刺し天婦羅」「串刺しトンカツ」や「焼肉」を売る店が出てきています。並んだ店の半数とまでは行きませんが、そのうち、モノ喰わせる店が半数以上になってくるのでしょう。そうなると、錦小路は「京の台所」ではなくなってしまうのではないかと想像できます。
当店が営業している祇園町でも外国人があふれ、「此処、日本かいな ? 」と疑いたくなります。祇園町の南側は、日本人よりも外国人が圧倒的に多く、「外国による占領下」の趣の街と化しています。北海道、ニセコから始まったオーバー・ツーリズム、瞬く間に日本中の観光地を占領してしまいました。
そして、我が家業の「京料理・日本料理」はどうなるのかと、やや絶望的な心境に至っています。インバウンドで日本人も影響され、今や日本国の食べ物、料理も「ラーメン」「餃子」「ステーキ・焼肉」「パスタ・ピッザァパイ」などへと向かっております。かろうじて「握り寿司」ぐらいが和食としての地位を保っている状態でもあります。思うのです。日本文化はいつも、外国から侵入してきた文化によって破壊され、50年100年の年月をかけて、毎回、回復してきました。
太平洋戦争敗戦の後は、アメリカ文化によって駆逐されました。12月30日NHK番組、「映像の世紀・バタフライエフェクト。スクリーンの中の東京百年」を観ていて、深く心底で響くものがありました。小津安二郎という映画監督が制作した、「東京物語」、「秋刀魚の味」という映画を取り上げていました。彼は不器用なのか、一途なのか、同じテーマ、同じような映画を作り続けます。「お前の映画はいつも同じだ」という批判には、「オレは豆腐屋だ。豆腐屋にカレーだのトンカツ作れったって、うまいものができるはずがない。オレは豆腐を作り続ける」と頑なに、信念を貫きます。
「長屋紳士録」など、東京の下町がいつも舞台で、そこで暮らすひとびとの日常が描き出されます。「東京物語」では、田舎から東京へ出てきて働く、長男と長女。そこへ田舎の両親が、東京見物に上京してきますが、毎日の仕事に追われて、構っていられない。それに対して、戦死した次男の未亡人となった嫁は、心のこもった対応をし、両親の東京見物にやさしく付き添ってくれる。小津はここで、核家族となって消えゆく大家族の絆と、まだ残りつつある家族愛を、対比して描き出します。映画の最後、田舎の母親が亡くなった時、弔問に駆け付けた次男の嫁に、遺品の時計を形見分けとして受け取ってくれと言い、父の笠智衆は嫁の原節子に言います。「妙なもんじゃ、自分が育てた子供より、いわば他人のあんたの方が、よっぽどわしらにようしてくれた。いやぁ、ありがとう」と。この映画を観たドイツの映画監督、ヴィム・ヴェンダースは、この映画を4回連続で観たと言い、「これ以上はありえない楽園だと感じた」「その美しさ、人間への敬意、その精神性に魅了される」と感動を述べております。しかし、東京オリンピックも近い1962年、小津は「戦後の東京には、俺の気に入った風景はもうなくなったよ」と語り、遺作となった「秋刀魚の味」では、ラスト・シーン、男手ひとつで育てた娘、岩下志麻が嫁いだあと、独りになった父親、笠智衆がチャブ台にもたれてつぶやきます。「いやぁ、ひとりぼっちか・・・・」。そして、それから日本は高度成長時代を経て、バブル経済の騒乱に突入し、小津の描いた東京に憧れて1985年訪日したヴィム・ヴェンダースが見た東京は、感動した文化が破壊しつくされた、変わり果てた街になっていました。「バブル崩壊後、模倣と欲望によって、小津映画に現れるような東京は、もはや存在しない」と嘆き、「増殖した映像によって、多くの物が破壊された」という。ただ、2020年、東京を訪れたヴェンダースは「東京は世界のコロナ・パンデミックとは逆だった」と言い、2023年彼は東京で映画を撮りました。彼が監督製作した「PERFECT DAYS」の中で、役所広司に演じさせた公衆トイレの掃除人。その丁寧な仕事ぶりに、「東京は公共の場所、例えばこういうトイレを敬意をもって大切にしている」と、かって小津が描いたひとびとのささやかな営みに、残像を見出して行きます。
思い返せば日本文化は、外国から侵入した他国の文化によって破壊され、翻弄されてきました。しかし、いつの間にか気づかないうちに、またまた、根強く復活してきます。それは20年、50年、時には100もかけて・・・・。古くは天智天皇の時代、百済の文化の影響によるものなのか、乙巳の変、大化の改新、白村江(ハクスキノエ)の戦いへと続き、足利義満は明との勘合貿易で財をなし、中国文化にどっぷり浸かってキンキラキンの金閣寺、北山第を建てました。織田信長はポルトガルの宣教師、ルイス・フロイスと交流し、南蛮趣味に浸った人物だからか、神仏を恐れず、比叡山を焼き討ちし、石山本願寺とは10年にわたる戦争を繰り広げました。彼らは既存の日本文化の否定に、何の躊躇もしなかったように思えます。そして今、日本はインバウンド需要、オーバー・ツーリズムの波が、古き良き日本を破壊して行きます。特に、この波に乗ってひと儲けをたくらむ輩達は、猛烈にけたたましく、浅ましく、手に負えません。伏見稲荷、嵐山、清水寺、祇園町などなど、外国人ばかりの大雑踏を見るにつけ、この2~3年で壊された日本文化は、修復不可能のように見えます。
しかし、いつもこの破壊状態から、静かに、息をひそめて日本文化は回復してきました。それが消しようのない、日本人のこころの底に流れる本質だからです。時間はかかります。恐らく30年、50年、ひょっとして100年かかるかも知れません。もちろん、私はその頃まで生きてはいません。この新年を迎えて、私はひとつの決断をしました。「この時代の波に、抗うことはよそう」と。少しズルいのですが、余生を自然に任せて、賢く生きようと・・・・。2026年令和8年の、年初の気持ちです。
