私のイトコ夫婦が、毎年水彩画と油絵の二人展を開催します。きょう観に行ってきました。ご亭主のN.Junzou氏は水彩画(上の写真)、妻のN.Nobukoさんは油絵(下の写真)です。生活圏の風景、室内での挿花、はたまた描画のために海外旅行に、毎年出かけているようで、外国風景も描きます。Nobukoさんは私のイトコで、小さいころから絵を描くのが好きで描いていて、Junzou氏と結婚してから、専業主婦そして子育て。いつからかまた、油絵を描きはじめました。Junzou氏もお勤めを定年退職してからか、その前からは不明ながら、水彩画を描いて、ふたりで悠々自適の作画生活です。およそゲイジュツは、それを職業としておカネを稼ぐ、生活するひとをプロと称し、絵の分野では「画家」と呼ばれます。しかし職業とすることはなかなか大変なことで、売れなければ悩み、世間の評価に左右され、思う作品ができなければ苦しみます。ちょっと有名画家の生涯を調べてみればわかります。貧困、薬物・酒中毒、自殺、心中、発狂、放浪、野たれ死・・・・・。わたしも若いころは、画家の悲惨な境遇と作品を見くらべて、感動もし価値も感じていました。いま、後期高齢者になってみると、違うのです。平凡に生きて(平凡に生きることだけでも大変なことです)絵を描いたり、文章、作画などいわゆるゲイジュツするのも、職業ゲイジュツ家となんら価値は変わらない。そんな感じがしてきています。30歳まえに世間にみとめられ、その後酒中毒、放浪のすえ野垂れ死んだ画家。絵が描けなくなり、20数年間一歩も家から出られず、息子の死に顔を見て、急に筆をとって死に顔を描きはじめ、晩年は子供が描くような絵を描いて天寿をまっとうしたひと。波瀾万丈、変人奇人、悲惨な人生図の枚挙にいとまはありません。しかしイトコ夫妻の水彩画・油絵を見ていて作品の価値はそれらと何もかわらないと感じます。「死後の評価が違う」と言われます。が、死んでから褒めてもらってもしかたない。生きて描いているときに、自分で感動できているかどうか。ゲイジュツとは、そんなもんだと思えるようになってきました。私事になりますが、家業の経営に携わりながら、音楽の創作を続けてきました。楽しい思い出ばかりです。20世紀に入ってクラシック音楽の分野では、変な病気が蔓延しています。なかには素晴らしい作品もあるものの、有能な才能はポピュラー音楽へ流出した感があります。とくにこの100年間ほどは、現代音楽と呼ばれる無調の音楽、12音階音楽が書かれ演奏されています。それも立派な音楽大学、芸術大学を卒業したひとびと(入学するだけでも大変です)が大真面目でやっています。ネコがピアノの鍵盤上を歩いているような音楽。わたしはあれを音楽とは認めませんし、冗談のたぐいだと思っています。難解なものに価値があると誤解しているのです。また、職業として生計が立っても立たなくても、専業であればプロということになります。働けど暮らしが楽にならなくても「じっと手を見」ればゲイジュツ家とされるのです。他方、生業としてお勤め、また経営者として働き、好きなゲイジュツもヤル。この人生もアリです。今日、イトコ夫妻の二人展を観て、「好きに絵を描くのはイイな」と思い、音楽のことも併せてゲイジュツに抱いた感想を書いてみました。
下の絵はNobukoさんの油絵です。