出町柳

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紫式部とコスモス

秋らしくなりました。今日は天気も良く、昼から散歩にでかけました。仕事場からの散歩は東西南北いろんなルートを歩きますが、一番多いのが三条大橋へ出て、鴨川河川敷遊歩道を北へ、出町柳賀茂大橋を折り返し帰ってくるルートです。

この散歩ルートでいつも思いだすこと。鴨川を北へ、丸太町大橋、荒神橋をすぎると、出町柳賀茂大橋がちかづいてきます。思い出すのは、高校の通学電車。当時、京阪本線は三条が終点でした。小学校、中学、高校と同じ学校のNとは家も近く、京阪で大阪府にある高校に通っていました。いつも同じ時間、同じ車両に四条から乗ります。高校2年生のころです。始発の三条から2~3歳年上の素敵な女の子(お姐さん)が、お勤めらしく丹波橋まで乗るのです。週に1~2度会います。髪の毛をボーイッシュに短く、チャーミングです。会えるとNと「いいネ」「好きだ」なんて遠巻きに会話したものです。ある時、座っているその子の前に立つたNが「定期入れが見えた!『出町柳』だ!。出町柳に住んでるゾ」と興奮して言うのです。『出町柳』の文字が通勤定期券にみえたそうです。

出町柳』から市電か市バスで三条まできて、京阪で伏見へ通勤のようです。

それからその子のことをNとは『出町柳』のニックネームで話すようになりました。「居た。オイ出町柳だ」「出町柳に会えたっ!」といつた具合です。繁華街、観光地の東山区に生まれ育ったNもわたしも『出町柳』には特別な響きを感じていました。住宅街であり、京都大学立命館大学(当時は御所東)、同志社大学、府立医科大学のある、アカデミックな特別のエリアです。地名への憧れもありました。もちろん、男子校のわたしたちは、その子と話すことも、おツキアイなんてとてもできずに、片想い、憧れのまま、高校を卒業して、京阪電車に乗ることもなくなりました。わたしもNも、あれこれ恋愛もしました。いつしか『出町柳』お姐さんをすっかり忘れてしまっていました。この所、鴨川を北に向かって歩いていて、賀茂大橋(出町柳)が近づいてくると、懐かしく思い出すのです。そして、できれば会ってみたい気もします。「実は高校のとき通学電車であなたに・・・」なんて打ち明けても、おぼえている訳もないけれど。すでに80歳近いお婆さんになっているはず・・・。賀茂大橋で折り返すとき、あたりを見渡したり、60年まえの通学電車のシーンを思い出したりしています。Nはすでに他界しました。これはもう独り言でしかありません。いやいや、私ごとのつまらない片想い、初恋はなしをブログしてしまいました。済みません。

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出町柳・鴨川左岸には萩が