森の小径

去年の秋から、午前5時30分に起床。毎朝、約40分の速足散歩をします。歩くのは琵琶湖疎水の遊歩道、自宅から北へ、少し高台にあります。疎水へ向かって歩いていますと、少し南の方で走っている、JR東海道線の通勤電車、貨物列車の走車音が背中の後方で聞こえます。夜中の保線作業を想像し、今朝も一番電車からの無事通行を知って、作業現場の皆さんに感謝をします。

東海道線は京都駅から山科駅を通過して、琵琶湖の東岸を大津、草津野洲

彦根米原へと走って行きます。同じ京都駅から山科駅を通過する湖西線は、山科駅東海道線と別れ、琵琶湖の西岸を堅田近江舞子安曇川方面へ向かい、近江塩津を通って敦賀へ行きます。また、東海道線を使っても敦賀へ行くことができます。琵琶湖の東岸を進み、米原北陸本線に乗り換えると、長浜、木ノ本を通って同じく近江塩津を通過して、敦賀へ到着します。

昨年3月、北陸新幹線は東京から敦賀まで到達しました。そして、敦賀から大阪まで、どうするかという問題が浮上しています。ひとつの大きな案は、若狭湾沿岸を敦賀から小浜まで延伸し、小浜から地下を通って京都市北区あたりを通過。京都市の西部も地下を通り、京都駅に到達、東海道新幹線を使って新大阪駅まで、もしくは、京都駅からも地下を通り、新大阪駅まで到達するルートが検討されています。この案に対して、京都市民から反対の意見が噴出しています。京都市民には、地下水を守ろうとする意識が強くあり、特に食産業、豆腐屋、生麩屋、湯葉屋、和菓子、漬物屋、京料理店はもちろん、茶道でも井戸水を大切に使いますし、酒造業にとって井戸水の代
替えが利きません。近畿日本鉄道竹田駅南あたりから、丹波橋まで高架になっているのは、線路敷設の折、伏見に集まる酒造業の要望で、地下水脈に影響が少なくなるように、との配慮からだと聞いています。リニア新幹線の工事で、静岡県、長野県の地下水脈が影響を受けている、との問題も現在浮上しています。京都市民の「井戸水を大切にする」意識を軽く見ていると、この計画は頓挫を免れないように思います。

考えてみてください。敦賀-大阪間にはサンダー・バードという特急列車が運行されています。もともとは、北陸本線の電化に伴い、大阪-富山間を「雷鳥」という特急列車を走らせたのが始まりのようです。北陸新幹線敦賀まで延伸する前は、大阪-金沢間にも頻繁に運行されていました。この特急列車、主に湖西線を走りますが、湖西線の風が強い時、天候が悪い時には、琵琶湖の東岸を米原まで走ります。湖西線のルート西側には、比良山がそびえ、早春には「比良の八講(八荒)荒れ仕舞い」という強風や比叡山からの「比叡おろし」が吹きすさみます。そのため北陸本線東海道線の代替えルートを走って京都、大阪へつなぐバック・アツプも用意されているようです。このサンダー・バードは時速103kmという国内在来線では、最速の運行速度です。この湖西線ルート、大正10年に浜大津-比叡山間を走り始め、昭和6年まで浜大津-近江今津間を走っていて、昭和44年に廃線になった私鉄「江若鉄道」の敷地を当時の国鉄が部分的に使って敷設したもののようです。この私鉄、設立当時は滋賀県で一番の大企業でした。近江の国から若狭湾までつなぐ計画のため「江若鉄道」が名前の由来のようです。こんなに便利なサンダー・バードが敦賀-大阪間を走っているのに、どうして新規に想像を絶する大金をかけて(予算は必ず膨らみます。予定の2倍~3倍)、小浜から大深度地下を工事し、新幹線を走らせる必要があるのでしょうか。これは明らかに、政治家と行政機関が、ゼネコンの片棒をかついでいるとしか、考えられません。我が国の人口動態状況を考えてみてください。減ります。人口は確実に減ってゆきます。リモート・ワークも常態化して行きます。明治初めの日本の人口は、約3000万人でした。令和7年現在、1億3000万人ほどです。実に4倍強の大繁殖をしました。食料が足りない。土地が足りない。住宅、仕事が不足。何もかも足りない。農地を増やせ。鉄道を伸ばせ。明治からの、この「拡大主義」の習性が政治家と行政官に沁みついてしまっています。アホです。今、一番に重要な項目は「エネルギー」と「インフラの維持管理」です。これから人口が減ってゆくことは、悪いことでも良いことでもありません。今まで通りの、拡大習性がアタマから抜けない「強欲資本主義」のひとに取っては、悪いことなんでしょう。「大変だ、大変だ」と騒いでいます。明治・大正・昭和という人口増の時代「富国強兵・殖産興業・更に敗戦後、焼野原を経て高度成長主義」でやってきました。1970年代になって、中東産油国が石油価格を値上げし、2度のオイル・ショックを経験しました。今も中東地域では戦火が絶えませんが、日本国は相変わらず「石油」の購入の90%を中東諸国に依存している状態と聞いています。石油を輸送するタンカーは、狭いホルムズ海峡、マラッカ海峡を通ってきます。産油国が石油の輸出を拒否するどころか、この狭い海峡の通行を拒否するだけで、日本経済は大打撃を喰らいます。それなのにその対策はほとんどなし。「そんなことにはならないだろう」と祈りにも似た心理が、この国の繁栄を支えています。能天気、気楽なことです。今、人口減少傾向、このチャンスに、何もかも明治以来の拡大主義を反転させなければなりません。北陸新幹線敦賀まで来て、大阪まで行くには敦賀で在来線サンダー・バードに乗り換える必要があります。これを不便だととらえるのかどうか。不便だから、「乗り換えをしなくて済むために」、20年以上の年月と、数兆円をかけて大深度地下に新幹線を建設しようという考え方、そろそろ改めた方がよい。そもそも、国土巨大インフラ新設計画は、発想時点から建設期間を経て完成した時には、その目的が変わってしまっていることが多々あります。私が毎朝散歩する琵琶湖疎水は、もともと、水運物流に利用しようというものでした。明治18年着工し、明治23年に大体完成しましたが、日本では蒸気機関車の運行が、明治5~6年ころから始まっており、明治22年には新橋-神戸間が蒸気機関車でむすばれております。琵琶湖疎水は完成時点で、その第一目的、物流を蒸気機関車に取って代わられていました。その代わり、瓢箪から駒インクラインのある蹴上の落差を利用して、日本初の水力発電所を作り、その電力で京都市内を日本初の電車が走りました。それと京都市民の上水道が、この疎水に依存しており、京都市は毎年滋賀県に、数億円のおカネを支払っております。水力発電と水道と、森の小径という恵みを残してくれました。一方、青函トンネルの工事には27年かかっており、その間にひとびとは、本州-北海道間をほとんど飛行機によって移動しています。本州と四国のあいだに橋を架ける計画も、永くかかりました。ここでも人の移動は飛行機によるところが多いのですが、将来、飛行機墜落事故が多発する事態になりますと、この架橋やトンネルが見直される時代が来るかもしれません。何しろ時代は「現場軽視」。航空機の整備スタッフも、熟練者不足到来の心配は杞憂ではありません。飛行機墜落事故は、一度に100人から300人の生命が失われる悲惨なものです。新規の道路敷設や、トンネル工事には、気前よく多額の予算がつきます。しかし、今、日本中の橋脚やトンネルの老朽化に警鐘が鳴らされ、いつ「橋が落ちても」「トンネルが崩れても」不思議ではない状態です。実際、地震で橋が落ちたり、トンネルの天井が落ちて、通行中のクルマが巻き込まれる事故が起きています。新規の公共事業に力を注ぐよりは、既存のインフラの維持、保守管理へと転換するべき時代に変わっているのは明らかです。何十年も、何兆円もかけて新規の事業を始めるよりは、そのカネと労力を、維持管理に注入すべき時代が来ています。敦賀で乗り換えて、琵琶湖の景色を楽しみながら、サンダー・バードで京都、大阪へ向かえば、十分ではありませんか。

毎朝の琵琶湖疎水散歩、小鳥たちのさえずり、水面を渡る涼風、野辺の花、朝日を身体に受けて速足散歩。「お早うございます」、行き交うひとびととの挨拶。今を生かされている実感を、健康の中に感じる生活です。この散歩する「森の小径」は「自然と人間の共存」を実感させてくれます。対して地中の土を巨大に巨大に掘り進み、移動させる工事は、どう考えても自然の破壊であり、完成後の膨大な維持管理の負担増しも考えれば、少子化の国の方向を誤らせるとしか、考えられません。乗り換えがない代わりに、いくら早くても、トンネルばかりを走る旅は楽しいでしょうか ? サンダー・バードに乗って、ビールを飲みながら、湖国の景色を楽しむ旅の方が、よほど人間らしいと思うのです。