手術の傷

「手術、終わりましたヨ」。右の頬をトントンと軽くノックされ、眼が醒めました。去年から全身麻酔の手術はこれで2度目です。去年の手術は12時間の予定が15時間かかったそうで、朝8時に始まった手術が夜の8時を過ぎても病院から連絡が来ず、カミさんは私の死亡をなかば覚悟していたようです。日付の変わる前の11時に、「ようやく終わりました。上手く行きました」と連絡を受け、ホッとしたそうです。前回の手術では「それでは麻酔をかけます」と声がした後、何やら目の前に色とりどりのブロックが順番にヒュルルルルルーと連なって、ハッと意識がなくなりました。麻酔から覚めるときはその逆で、急に目の前に連なったブロックが戻ってきてヒュルルルルルーと、猛烈に消えてしまうと、「手術は終わりましたヨ」と声がして、やはり頬をトントンとノックされて気がつきました。翌日の朝になっていました。前回、食道と胃を摘出する大手術でしたが、今回は少し恥ずかしさを感じます。足の付け根、男根の両側が膨らんできて、自分でも診断がつきました。「鼠径ヘルニア」、つまり下腹部、腸が飛び出てくる→下腹部が膨らんでくる→別の病名「脱腸 ダッチョウ ! 」です。小学生の頃クラスのうち1~2人がこれになっていました。小児はその部分が生育未発達の場合、なるそうです。「おい、あいつダッチョウだってヨ」とささやき合ったものです。それをこのトシになってなるなんて・・・・すごくミットモなく感じます→加齢による筋肉の衰えが原因だそうです。手術以外に治療方法はなく、衰えて開いた部分にメッシュを入れて塞ぎます。放置すればどんどん膨らんで、腸の機能に障害が起き、生命の危険もあるそうです。前回は完全な腹腔鏡、胸腔鏡手術。身体に6カ所穴が開いたものの、傷自体の痛みはほとんどありませんでした。今回は腹腔鏡手術ながら、メッシュを挿入するためにヘソの左右をメスで切られたようです。メスで切られるのは、高校1年生の時扁桃腺の摘出手術を受けて以来です。激烈に痛かった記憶がありますが、その痛みは実感として忘れていました。こうして、刃物で身体を切られる痛みと再会しました。歩行にはさほど痛みを感じませんが、身体をベッドから起こすときや咳が出ると結構痛い。戦国時代の武士がいくさで切られたり、江戸時代に切腹する武士はこれの何倍もの痛みを味わったのかと思います。また、ウクライナでの阿呆プーチン戦争、身体に銃弾を撃ち込まれたり、摘出されたりする兵士も、この痛みを味わっているのでしょう。また、狂気に駆られた相手から、路上や室内で刃物を振るわれた被害者の痛み、よくニュースでは「数カ所切られましたが、命に別状はないようです」なんて気軽に言うけれど、→痛い。刃物はそれぞれそれ自体の用途に使うものです。手術は別にして、決して刃物でひとを傷つけてはいけません。私は八坂神社の社殿裏側にある刃物神社には、商売柄、本殿参詣の後、必ずお参りします。退院してきて、手術の切り傷、刃物による切り傷の痛みを再確認したこの数日でした。春の兆しが感じられ始めました。今年は庭の柚子と柿の木に寒肥料をやり、柚子は剪定も行いました。秋に結実するかどうか、楽しみにしています。それほど手間のかからない果樹の育成ではありますが、農業には我が子を育てるような楽しみがありますネ。写真は柚子の花と、熟れる前の実です。