令和4年、今年を振り返って

今年、年明け早々不動明王様のお参りに行きました。私の母親はもう亡くなりましたが、ひどい奴でして、20代の半ばの時、大阪のある不動明王様に渾身の願をかけました。「私に運を授けて下さい。その代わり、親、弟妹、子供、一族郎党がどんなに不幸な目に遭っても構いません・・・!!!」。不動明王様は火の神様です。その願掛けから帰ってみると、借りていた家は火災で焼失していました。炬燵の火を消し忘れて出かけたらしいのです。昭和初期、失火の罪は厳しく問われ、警察にさんざん絞られることになりましたが、なんとそれから母には強運が舞い込んだのです。それも2度ならず3度も。ちょっと普通の人生には考えられない程の「強運」です。以後、大ブレークした人生、肩で風を切ってふんぞり返って生きました。願掛け以後、母の両親、弟妹の内ほとんど、私たち3人の子供は逆境気味の人生でした。そのうち何とか逆境に立ち向かって、幸福に近い人生を手にした者は数人います。しかし、運の善し悪しを言えば、不運に抗って生きることにエネルギーを使い果たし、決して運に恵まれていたとは言えません。母の弟にあたる叔父は常々「姉ちゃんが俺たちの運を全部持って行った」とボヤいていました。「一族郎党がどんな不幸な目にあっても構いません」とはご先祖様を含めて、以後の血縁者全員に及ぶ「不幸受け入れ宣言」です。今年のはじめ、私は77歳。ふと、この母の願掛けをもう消滅させる必要があると気づきました。このまま、一族に不幸が及んだままにして、この世から退場する訳には行かないと考えたのです。私は大阪にある、その不動明王様に1月、2月、3月と参詣しました。「願消滅・母の願」を願って。毎日午前中から1時間に1度、護摩木を焚いてご祈祷が行われます。不動明王像のまえには、高額の寄付をしたひとの名札が並んでいます。ここにあるのは「現世御利益」という宗教の一面です。この「現世御利益」と「自然・生命への感謝」という宗教の二面。皆さんは宗教に対してどう向き合われますか ? 母の願いはまさにこの「現世御利益」でした。私は「畏怖と感謝」を宗教の本質と考える人間です。私の護摩木には「開運」ではなく「願消滅・母の願」。立てたお灯明ローソクにも「願消滅・母の願」。今年になって3回目の参詣は3月29日でした。この頃から何か異変がやってくる気配を感じていました。そして2日後、3月31日、食べ物がのどを通りにくくなるのを感じました。11年ぶりの癌の再発でした。4月は診察、検査、転院。5月に入って手術が決まったとき、私の護り本尊である大日如来様へお参りに行きました。中央に大日如来様、右手には金剛波羅密多菩薩様、左手に不動明王様です。大日如来様には「この身をお任せします」と述べ、不動明王様には「どうされるお積もりですか」と問いました。決して「こうして下さい」と願ったわけではありません。私の5月以後の病歴経過は、11月12日のブログ「鴨川を歩く」に書きましたのでご覧下さい。今年は生命の大ピンチ、15時間におよぶ癌の摘出手術を受け、リハビリに専念する年になりました。私の願「願消滅・母の願」はどうなったのでしょうか。少なくとも命が助かっただけ、大日如来様が護って下さったことだけは確かです。私の願いは「良くしてほしい」ではなく、「自然にもどることを祈った行為」です。毎朝、お仏壇にお灯明、お線香を上げるとき、ご先祖様に「母がとんでもないことをしました。お許し下さい。今後は、このような不埒なことはさせませんので」とお祈りしております。皆さん「現世御利益」について、もう一度考えてみて下さい。