かくも長き休暇

4月に発病し5ヶ月が経ちました。病気療養とはいえ、これほど長くお休みするのは初めてのことです。まだ3ヶ月は続きそうです。こんなトシながらまだ退職はしていません。わずかながら薄給を食んでいますので、休暇扱いです。今日、たまには日光に当たらないとダメだと思い、雑草のあいだに座ってみると、小さな蝶々がヒラヒラ飛んでいました。それで思い出したのが画家、熊谷守一です。97歳まで生きた守一ですが晩年の18年~20年間、40坪ほどの自宅から、一歩も外出しなかったといいます。若い頃から、夫人や周りの人から「どうか絵を描いて下さい」と常に懇願されながらも描けず、グータラ生活を続けました。私も退院から2~3度自宅近辺に外出しましたが、ほとんど家に居ます。食って寝て、落ちた体重を回復すべくリハビリの毎日とは言え、「これ穀潰しじゃないか」と思ったりします。絵が描けない守一は、当然極貧の生活で、5人の子供をもうけたものの、3人を失っています。次男の「陽」が肺炎に罹っても医師へ支払う金がなく4歳で亡くしました。絵が描けなくて苦しんでいた守一ですが、その時急に狂ったように絵筆をとり、布団に横たわる「陽」の死に顔を描きました。画面全体が荒いタッチの「陽の死んだ日」は、何とも鬼気迫るものがあります(大原美術館蔵)。その4年後には、三女の「茜」も病死しています。長女「萬」が21歳、結核で亡くなり、火葬場からの帰りを描いた作品、「ヤキバノカエリ」は、野辺を中央右手に守一らしき人物、その左に骨箱を両手で抱えた男の子、その左に小さな女の子が衣服か布団のようなものをもって、歩いている絵です。晩年の守一画の単純化されたタッチで、画面全体に寂しさと悲しみがみなぎっています(岐阜県美術館蔵)。70歳に近づいたこの時期あたりから守一は、子供が描く絵のように単純化された絵を描き始めたようです。「ヤキバノカエリ」に見られる、単純な輪郭と色使いが守一画の転機になったのかも知れません。カエル、蟻、蝶々、猫、花、野菜などなど旺盛な制作意欲で死ぬまで書き続けました。ただ、次第に世の中の評価が高まっても、その仙人生活に変化はなかったようです。

日光浴にと、雑草のあいだに座った目の前を、ヒラヒラ飛んだ蝶々から熊谷守一に思いが及び、何もしない毎日の自分と、守一の仙人生活に思いを巡らすことになりました。毎日私の療養生活も、変化はありません。長い人生に思いがけなく訪れた「仙人生活」として、神様からプレゼントされた「かくも長き休暇」。これも人生の一ページとして、粛々と過ごすしかありません。長らえた命に感謝を込めて。