広告文化の不易流行・むぎ焼酎二階堂CM

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広告も「言葉、絵、映像」としてとらえれば、立派な「文化」です。中には極端に文化から遠いものもあります。製品の機能や特徴をうるさく前面に出し、「早く買わねば損をするゾ」と言わんばかり、「0120-○○○-○○○に今から30分以内にお電話申し込みいただければ、なんと70%引き。オペレーターを増員してお待ちしております」。なんて言ってる画面の片隅に小さく「この広告は1日に数回流れます」と出ていたり・・・。時のハヤリなのか数人(時に数十人)がカメラに向かって一斉に踊ったり、歌ったり。これは歌手タレントをグループにして売り出す風潮に乗っているのでしょう。1970年代、80年代に花咲いた「広告文化」の香りを残しているものもあります。今、流れている日本中央競馬会(JRA)の広告には、競走馬の走りをひとのロマンに重ねようとの意図を感じます。そんな中で特筆すべきCM、広告予算の都合なのかそれ程頻繁に流れませんが、(駅の手洗い場)→(古家の玄関)→(バレーダンス練習)→(花嫁姿)→(脱ぎ捨てられた博多帯が姿見)に写り→(女性が付け髭を外す)→そして画面に「夢よりも不思議な時間が眠っている」と文字が出て、(野原を風采の上がらない男が行く)。ナレーションが「あの日の自分を移ろう未来へ。ここで出会える。見覚えのある眼差しが心を覗き込んでいるようだ」と流れ、「麦100%、大分麦焼酎『二階堂』」と製品名が読まれます。若いひとにすれば「何だ、これッ」と思うかも知れない。しかし私たち後期高齢者には、若い頃に見ていた広告の雰囲気のひとつです。松尾芭蕉俳諧の理念を「不易流行」と言いました。「不易=変わらないものと、流行=移りゆくもの」だと。それは今や、あらゆる芸術・文化に共通にあてはまると思います。70年代後半頃、西武百貨店の広告には「マヨネーズの島では、海の中に虹が動いていた」とか、「植物は都市をソフトにする」といった文案があふれていました。当時の名だたるコピー・ライターがこぞって書いていたものです。それは当時の「流行」で、文化の先端を走るものでした。その後、西武の堤清二社長は「いくら広告を打っても、客が来ない」と嘆き、方針転換してそんな広告をやめます。実はその頃から、この「二階堂」のCMは始まったようです(1987年CM「自然」開始)。回顧調のミニ・映像は毎年1作つくられ、これが30年余りにわたって続いています。まさに頑固なまでに「不易」。制作は広告会社「大広」。CM監督は2作目から、ずっと九州在住・清水和雄氏です。ネット上ではCMのファン・クラブも作られ、各CMのロケ地を紹介するサイトもあります。ロケ地は、ほとんどが九州各地。たまに山口県もあります。ロケ費用を切り詰めている努力が痛いほど見て取れます。「二階堂酒造」で検索すると会社のホーム・ページには過去のCMを紹介するページがあり、YouTubeで閲覧できます。製品を全面に出さず、企業のイメージを訴える「企業広告」「PR広告」と呼ばれるものは、以前からありましたが、いまでは、そんな呑気に構えられる企業は少なく、せわしなく広告効果を求めて「売らんかナ」姿勢の広告主ばかりです。この広告界の変遷の中で、かくなる化石のような頑固一徹姿勢は、少しウレしくなります。ファン・クラブが作られるのも理解できます。ただ、CMにひとつ注文すれば、画面、文案、流れに「脈絡」がありません。現代詩と呼ばれる詩、現代音楽と呼ばれる十二音階音楽(無調音楽=調がなければ音楽にならない!)、一部の現代絵画や書道に見られるアヴァンギャルドに欠けているのは「脈絡」です。現代アーティストは、「脈絡」がないことで、逆にそれが「現代アート」だと粋がり、高尚ぶるヘキがあります。「二階堂CM」もこのヘキから脱却し、作品が脈絡をもって、小さなドラマになれば、素晴らしくなると・・・・私は期待しています。