アオバズクの鳴く夜

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琵琶湖疏水の森

「男は家から一歩外へ出れば、7人の敵がいる」と言われます。50数年にわたって商売にたずさわっていれば、そんなことは当たり前、何かと誹謗中傷にさらされます。それは決して気分の良いものではありませんが、これはひとの世の習いと受け流して、そんな時は大自然のことを考えるようにしています。大自然の中にひとりボツンといる自分にとって、世の習いなんて大したことじゃないと思えます。特別にひろい海や樹海へ行かなくても、大自然は感じられます。毎年5月のゴールデン・ウイークの頃、夜にアオバズクの鳴き声が聴こえ始めます。森の葉っぱが青葉に変わる頃、日本にやってくる鳥なので「アオバズク」という名前がついているそうです。暗闇に「ホッホー、ホッホー」と響く声は、ユーモラスでもあり、寂しくもあり、こころに沁みわたります。ひとの世の習いなどどこかへ消えて、大自然を肌で感じることができます。野鳥図鑑によれば「大木に空いた洞穴に営巣する」と書かれていて、大木の洞穴なんてそうそうあちこちにあるものではなく、毎年同じ大木に同じ鳥が渡ってくるのかと思い、今年も帰ってきたかと親近感が増してきます。「アオバズクー東南アジアやインドから、夏になると渡ってくる」とあり、南方から海の上を一気に飛んでくるのか、島から島を渡ってくるのか、はたまた大陸沿いにベトナム→中国→朝鮮半島対馬海峡を渡ってくるのか。そして秋には帰って行く。この鳥の旅路を思い描くだけでも、壮大な気分になれるものです。

 

人恋しさのあまり 書き始めた日記に

もうひとりの僕との 出逢いがあった

淋しさになれた今 木の葉ずく( コノハズク )も去って

押し花残るページに 思い出を語る

落ち葉が雪に・・・・・

どうして僕は ここにいるのだろう

布施明 作詞・作曲 「落ち葉が雪に」から

 

これは布施明歌手が自分で作って歌った曲です。コノハズクが出てくるので、それはアオバズクのことかと調べてみました。同じフクロウながら別種でした。コノハズクは「日本のフクロウで最も小さい種」とあり「鳴き声は『仏法僧』と鳴いて、同じ名前の鳥と間違えられているようだ」と野鳥図鑑には載っていました。布施明歌手はどこか山間部の家で夏期にこの鳴き声を聴いていて、帰って行ったことで冬の到来を感じたようです。「落ち葉が雪に」いい曲ですヨ。良かったらYouTubeで聴いて見てください。「木の葉ずくも去って」というのは、寂しさの表現としては上手いネー。

昨日午後電話が鳴り、出ると2年後輩のXクンでした。声に元気がない。心筋梗塞で入院中だと言います。2ヶ月前は脳梗塞で入院したとも言います。どちらも早く救急搬送され、命に別状はなかったものの、脳梗塞では少し歩行が困難になり、リハビリテーションを行ったそうです。十数年前に2度の胃癌手術をし、ほぼ胃を全摘出、そのあと腎臓癌もなんとか克服したのを私は知っています。これだけつづけて大病を患うとモグラ叩きさながら、次はなにが出てくるのかと弱気になるのはわかります。「まァのんびりやれよ」と慰めるのがせいいっぱいでした。私自身丁度10年前、気になることがあつて、病院へ検査に行きました。昔のスケジュール表を調べてみると、連休明けの5月6日でした。5年生存率33%という危険な癌がみつかり、一度は死を覚悟しました。治療には4ヶ月を要しました。こうして生死の問題が迫ってくると、人間社会のこと、つまり「世の習い」はどうでもよくなります。そして、この世に生を受けたこと、自分の存在を大自然の一部だと認識します。これが人間が特技として手にいれた「宗教」というものの入り口かも知れません。普段は人間社会の嵐に翻弄され、苦しんだり、くよくよ悩んだりします。もしも今、そんな人がいたら、自分が大自然の一部だという認識に戻ってみて下さい。きっと気が楽になります。風の音を聴いたり、水の流れを見たり、野鳥の声を聴いたりして・・・・・。アオバズクの声を夜更けに聴いていると、自分が大自然の中で生かされている気持ちになって、こころが落ち着きます。今年も暗闇で「ホッホー、ホッホー」と鳴きはじめました。

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天智天皇陵の森