東日本大震災から10年

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震災から今日で10年が経ちました。震災1と月前、16年間飼っていた猫が死にました。私のこのブロクのプロフィールに使っている写真の猫です。そのまた1と月ほど前、私は、からだのある部分に違和感を感じはじめました。自覚症状としては、かすかなものでしたが、ずっと気になっていました。健康には自信があり、医者ぎらいの自身にしては、なぜそんなに気になるのか不思議でした。思い返せば神様のお告げだつたとしか考えられません。それでも何事も起こらず、平穏な日々がつづいていたなら、自分の健康に関しても、それほど神経質にならなかったかも知れません。猫の死を目のあたりにし、震災、津波の映像が繰り返し流れ、原発事故があり、騒然とした雰囲気の中で、自分のからだに危機感を感じつづけていました。偶然の幸運に背中を押され、決心をして5月のはじめに病院へ飛び込み検査を受けました。「間違いありません」。癌の宣告でした。私はその部位の癌に罹患した知り合い10人ほどの、ほぼ全員が死亡したのを体験しています。「もうダメだ」と思いました。5年生存率は33%です。3人に2人は死にます。1人だけ命が助かった友人がいました。手術を受けず、放射線治療で完治しました。私は外科医から手術の詳細と日程を説明されました。聞いていて「これ、やったら死ぬぞ」と直感しました。セカンド・オピニオンどころか、4’thオピニオン、4人の医師を選んで相談しました。4人とも言うことも治療方法も違いました。治療方法は確立されていない。ならば助かった友人と同じ、放射線治療で行こうという結論に達しました。受診していた病院には放射線科はあったものの、検査用で治療のためではありませんでした。隣の県の大病院を紹介され、説明を受けると、治療日程の最終に大手術が用意されていました。「自分の命は自分で決める」。手術は拒否。その医師は「そんなことで治るもんか」と怒り、喧嘩になりました。一歩も譲りませんでした。「廊下で待っとれ!」と怒鳴られ「これ持って帰れ」と紹介してくれた医師への手紙を託されました。「この患者は言うことをきかない」とでも書いてあつたのか、ジーっと手紙を読んでいた外科医は、「よし。放射線だけで行こう」とつぶやき、「私の同級生がO市の病院で放射線科医やっているので、頼んでみよう」と掛け合ってくれ、いったんは満員と断られましたが、「1人ぐらい何とかしろ」と押し込んでくれました。2ヶ月の入院、治療が終わったのは8月も終わりかけていました。10月になって元の病院で検査を受けました。生検と言われる組織検査の結果「組織に悪性のものは見られない」と明記されていました。その検査結果票を持ってO市の病院、放射線科医に報告に行くと、「シロでしたか・・・」と少し意外な表情でした。帰るとき廊下で、入院時世話を受けた看護師の女性にバッタリ会うと、まだ生きていたの ? という表情。検査結果を見せると、「癌が消えたっ ! 」と驚いていました。猫が生きていた時、私が仰向きに昼寝をしていると、いつのまにか猫が私の上に乗って、腹部をべったり私にくっつけて、昼寝をするのが常でした。、私が癌を発症した部位に猫はいつも腹部をくっつけていました。あとから考えると、私の入院前に死んだ猫は、私の癌をもっていってくれたような気がしています。日本ではすぐに手術になりますが、欧米ではとりあえず放射線治療をやってみるそうです。先に放射線を当てると、癌が消えなかったり、再発した時、手術をしにくくなるそうですが、選択肢のひとつとして、癌になったときのために知っておいてほしいと思います。2011年は東日本大震災で亡くなった方々、肉親を亡くした方々、原発事故でふるさとを追われた方、失った方の記憶に残る歳でしょう。被災した人々には、忘れてはならない記憶の歳でしょうが、私にはそれに加えて、癌で生死をさまよつた歳として、10年経ったという安堵、10年生きられたことを神様に感謝しています。

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