オリンピックやるのですか

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明けましておめでとうございます。元旦の混雑を避け、昨日、大晦日ではありますが、年越し初詣に行って参りました。今年もブログでボヤきます。お時間のある方はよろしくおつきあい下さい。

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1964年(昭和39年)10月21日

私は東京オリンピック国立競技場の正面スタンドにいました。2時間ほどまえにスタートしていったマラソンのランナーが帰ってくるのを待っていました。グラウンドでは棒高跳びなどフィールド競技が行われていたものの、満員の観客の目線はなんとなく、第2コーナーのゲートに集まっていました。スタンドはザワついていて、変な雰囲気でした。マラソンの途中経過は、電光掲示板に時々掲示されたていたはずですが、何か不完全で誰が何位を走っているのかは、スタンドではさっぱり分からない状態でした。やがて褐色のランナーが入ってきました。(やっぱり)。誰もが予想していたアベベ・ビキラです。そこそこの歓声につつまれたのを憶えています。ゴール・テープを切ったあと、アベベは軽く体操をはじめて、疲労の気配もみせません。4年まえのローマ・オリンピックではダーク・ホースの1着優勝、練習中に靴が破損し、合う靴がなかったのでハダシで完走したあと「まだ20kmぐらいは走れる」と話したそうです。競技場でつぎの2位走者が入ってくるのを待つ間、私に ( 次には日本人選手、ならば君原かもが入ってきてほしい ) という思いがわいたのは確かです。意外でした。入ってきたのは円谷幸吉、疲れ果てた走りでヨロヨロと。それから数十メートル遅れて、追いかけてきた外国人選手 ( あとで英国人のヒートリーだと知りました )、軽快に走って第3コーナーで円谷にせまりました。6万人のスタンドは総立ち、地響きのような怒号が競技場を揺すりました。( 円谷走れ! 追い越されるな! ) という叱咤激励。この一瞬、私の中にわき上がった不思議な感覚があります。( これはナショナリズムじゃないのか ?  ) というものです。( 日本人なら日本人を応援するのは当たり前 ) と思い続けてきた自分の中に ( そうだろうか ?  ) との思いが大歓声のなかでふっと沸くのを感じました。円谷が第4コーナー手前で追い越されるまでのほんの数十秒間、観衆が叫べば叫ぶほど、この感覚は強さを増しました。円谷は3位でゴールし銅メダル、よくやったと讃えられました。

何が言いたいのかというと

私はその後の人生で、たびたびこの問題に遭遇することになります。同じ日本人だから→同じ県人だから→同じ政党だから・同じ派閥だから→同じ出身校だから→同じサークル仲間だから→同じロータリー・クラブの仲間だから・・・とひとは身近なひとを支持するのです。またファンになってしまつた側を無条件に応援するのです。阪神vs巨人戦を観にいって、甲子園球場3塁側しか席がとれず、田淵幸一がホームランを打ったとき立ち上がって拍手をしたら、まわりの巨人ファンから冷たい目で見られました。私は阪神ファンですが、巨人、仁志敏久二塁手の守備にはウナりつづけたものです、投手の足元ぬいてセンター前ヒットと思った瞬間、仁志が構えている。それも横っ跳びではなく正面で??? 。走者1塁で仁志正面に上がったハーフ・ライナーをとっさに下がってショート・バウンド捕球、二塁へ投げて走者アウト、遊撃手が1塁へ投げて打者アウト、ダブル・プレー成立。舌を巻く守備の連続でした。知らず知らずいつも仁志を応援していました。逆に阪神ファンながら、いまの阪神の正捕手。これほどリードのマズい捕手はいないと思います。阪神の負けの3分の1はこの捕手が原因だと思っています。阪神ファンの私は、早く引っ込めと願うばかりです。私は長年経営者をやってきました。経営者は孤独であれ! が信念で、いろんなクラブや団体には所属しませんでした。経営者には考え方が違い、必ず対立するひとがいるものです。会社にとって良かれと思った判断でも、それに反対するひとが所属する団体のひとは、つまり反対するひとの知り合いは、有無を言わず知り合いのほうを支持します。私は無条件に悪者になります。いつしか慣れてしまいましたが、私は非難されつづけです。原因は、知り合いではないから。スポーツの応援はたわいのないものですが、国家や自治体の政策判断、会社の方針などに、この力学が作用していませんか。いずれが正しいかは、親しいとか同じ所属だとか、さらに同じ民族だからとかに、影響されるべきではないのです。56年前に国立競技場で19歳の私が感じたことが、ずっと人生に警鐘を鳴らしつづけてきました。「ひとの言動は、親密な間柄だからの理由で善し悪しの判断とするな」。国立競技場の第3コーナーを目に浮かべて、その後の自分にこう言い聞かせてきた人生です。政治家のみなさん、経営者のみなさん、軍隊の幕僚の方々、こんなヘソ曲りな考えもあることを知っていただければとの一文になりました。

去年は新型コロナ禍の一年でした。ますます蔓延拡大です。こんな状況で今年、東京オリンピックやるのですか ? 。私は、2020年東京開催が決まった時点で、オリンピックには何の興味ももっていませんでした。競技種目が多すぎます。大判振る舞いのメダルの重さは軽すぎます。何よりも、戦後の荒廃から立ち直った1964年とは状況が違いすぎます。競技者の立場に立てば、なんとしても開催してほしいのでしよう。しかし、冷静に考えれば無理です。ネ、もう今年のオリンピック中止したらどうですか・・・・。