「生きザマ」という言葉はおかしい

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最近、よく耳にする言葉で、いつも気になっているのが「生きザマ」という言葉です。「死にザマ」という言葉はあります。れっきとした言葉としてあります。「死に様」と書きます。「ザマ」とは「みっともない様子」を表現する言葉です。「見ろ ! 案の定、このザマだ 」とか「何てザマだ」などと使います。それがいつしか、生きている格好を表現する意味で間違った使い方をして、あたかも「格好イイ生き方」として褒め言葉のように使われはじめました。「ザマ」と言う限りは、スマートに楽々というニュアンスではなく、「必死にあえぎ喘ぎ」生きている感じに受け取ってしまいますが、ひとによっては、スマートに誇らしげな生き方のように使っているようなことがあります。「これが男の生きザマです」なんて平気で使っています。しかし、おかしいのです。調子に乗って傲慢極まりないひとが、躓いて取り返しのつかない不運で惨めな状態におちいったとき「ザマー見ろ」なんて言い方をするのです。「ザマ」とはそんな言葉です。

とは言うものの

言葉は時の流れとともに変化するもののようです。平安時代の文章にたびたび登場する「いとをかし」という言葉、現代語で解釈すれば「ずいぶん変だ」とか「大変不審である」とか「凄く面白い」とかになるのでしょう。古文の授業で習ったとおり、平安時代には「非常に興味深い」とか「味わいがある」というイイ意味に使われていました。

清少納言は「枕草紙」という随筆で、

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。
 夏は夜。月のころはさらなり。やみもなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、 ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし
 秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行く とて、三つ四つ、二つ三つなど、飛びいそぐさへあはれなり。まいて雁などの つらねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし

 

と「イイね」の表現に使っています。「飛びいそぐさへあはれなり」とありますが、

ご存じの通り「あはれ」「もののあはれ」とは「しみじみとした趣がある、すばらしい」との表現です。もちろん「いたましい」とか「かわいそう」だとかの意味も含まれているようです。

鎌倉時代初期に編纂された「新古今集・秋上」で西行法師は

「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」

と詠んでいます。「寂しさ、粋、無常」などがひしひしと心に響いてくる歌です。こうして、古人先人の言葉、日本文化を思い起こしてみると、その上品さ、折り目正しさを感じて、背筋をピンと伸ばしたくなるのです。

今の若者達が、「マジ」で「ヤバい」とか、「ウザい」「キモい」と言っているのを聞くと、願わくばそれらは一時的な流行で、せめてスラング(俗語)ぐらいになって、早く消えてくれないかと思います。更に言えば「めっちゃオモロイ」なんて言います。男子が使っている内はまだいいのですが、若い女の子までが言います。この「オモロイ」と言う言葉、大阪のお笑い芸人の影響でしょうか、余り上品な表現ではありません。女の子は「オモ」と「ロイ」の間に、「シ」を入れて、→「オモしロイ」と言った方がよろしい。私自身、こうして文句や小言を言い出すと、前々回のブログで書いた、我が爺さんに似てきました。この辺にしておきましょう。とにかく「生きザマ」という言葉が、電波メディアばかりでなく、印刷メディアの中でまで市民権を獲得しつつある状況を見ると、いささかこころが暗くなるのです。「生きザマ」という言葉は「おかしい」→この場合の「オカシイ」は古文で言う「いとをかし」の「興味深い」とか「味わいがある」とかの意味ではありません。正真正銘の現代語「変だヨ、間違ってるヨ」の意味です。念のため。

そして誰もいなくなった

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そして誰もいなくなった「and Then There Were None」。これはアガサ・クリスティをベストセラー小説家にしたミステリー作品の題名です。販売数は、歴代世界で6番目に売れた書籍だそうです。

この数年、アメリカで「トランプ現象」とでも言うべき現象が起こっており、(これ一体何なんだ ? ) と不思議に思っていました。ドナルド・トランプ共和党という政党内での人気はもちろん、前々回 ( 2017年 ) の大統領選挙で、民主党ヒラリー・クリントンを破って当選しました。前回の大統領戦では、民主党ジョー・バイデンに敗れましたが、得票数は僅差で、皆さんご存じのように、今年11月の選挙に向けて、共和党予備選で圧倒的な強さを示しています。彼の掲げる政治姿勢は「アメリカ第一主義-アメリカ・ファースト」です。

私はこのブログで、日本の現状を、「現場を軽んじる危険な国」として警告し続けてきました。若者に教育の大切さを示すのはいいのですが、それは多くの意味で「学問」や「創造性」への導きではなく、なんとなく「有利な就職」への切符を手に入れようとする行為に見えます。結果、基礎研究 ( 科学 ) や現場での開発 ( 技術 ) という「学問」から乖離し、目的のほとんどが 、( 楽して暮らしたい ) デスク・ワーク事務職への就職希望となってしまっています。私の小学生時代、昭和20年~30年代は、就労人口の内「農業」従事者が、圧倒的多数を占めていたようです。私の町京都では親の職業は、商店・飲食業・職人・運送業など現場労働がほとんどでした。そんな中で、親が夕方に帰宅し、一家揃って夕食の卓を囲める職業がありました。会社員です。我らワル餓鬼が日が暮れても遊び続けていたのに対し、会社員の家庭の子供には、「ご飯ですヨー」と迎えがくるのです。残された子供どもは、なんとなく寂しさを感じ、会社員の家庭が「特権階級」に思えたものです。そして日本は高度成長に向かって驀進し、農村の子供達は都会へ集団就職、都会の子供達は進学率が上昇し、大学へと向かいました。そして大学卒業後は「現場職」よりも「事務職または営業職」への移行が大きな流れとなってしまいました。「トレンド」と言う言葉があります。世の中の流れが、ある一定の方向に向かって流れ始めますと、逆らえません。「トレンド」です。魚屋も八百屋も豆腐屋も、スーパー・マーケットの波に呑み込まれ、無くなりました。町を歩いてみて下さい。「サンマのいいのが入ってるヨー」「朝堀のタケノコ、どうですか」と叫んでいたオヤジ達はもういません。「そして誰もいなくなった」状態です。そのスーパー・マーケットもコンビニエンス・ストアーに喰われかけています。24時間営業のコンビニは便利で有り難いのですが、店員不足に苦しんでいます。外国人の店員が多くなりました。林立するホテルの客室清掃やベッド・メイキングはネパール国からの婦人などが担っています。日本は移民入国に厳しいと言われていますが、それらの労働は「技能実習生」なんて誤魔化しながら、移民が補っている現状です。「そして誰もいなくなった」のが農業、販売、引っ越し作業、製造業などなど日本人の現場労働者です。これだけ現場労働が軽視されれば、国が回っていかなくなる危険があります。鉄道の保線作業を行うひとがいなくなれば、電車は走らなくなります。建設業の人手不足で、道路や橋の維持は難しくなります。介護士不足は、長年にわたり深刻な状態です。「現場労働が嫌われる」これが日本の特徴だとすれば、反面、アメリカではそれらの労働を厭わず従事する人々が普通に多数いるようです。階級社会の特徴かも知れません。すでに衰退してしまった産業が残る、Rust Belt銹錆地帯と呼ばれる地域には、衰退した産業で転職せずに就労している労働者が多数いて、トランプのスローガン「アメリカ第一主義America First」、かっての栄光を取り戻そうとするムードに呼応しているようです。 だから、移民の流入には大反対。「オレの仕事が奪われる」。ここが日本の労働形態との決定的な違いで、こう分析してみて、やっとトランプ現象がおぼろげに理解でき始めたところです。詰まるところ、これは現場労働者とEstablishment「社会的に確立した体制・制度」やそれを代表する「支配階級」とのせめぎ合いです。銹錆地帯や南部農村部と東海岸の高学歴エリートとの対立、分断。ドナルド・トランプとは、アンチEstablishmentが票になると察知したアメリカ人なんだと言えるでしょう。

 

 

祖父の命日

いつも朝起きると、お仏壇に水を供え、ローソクに点火し線香を炊きます。その前に過去帳、今日の日のページを開きます。今日は2月24日、母方の祖父の命日でした。亡くなったのは昭和35年(西暦1960年)、私が高校1年生の時です。丁度、中間テストでしたか学期末テストの最中で、少し迷いながらも、テストを優先し2日後の葬式を欠席しました。葬式の翌日の朝のことだったと思います。一夜漬けの試験勉強、徹夜してウトウトと居眠りに入った時、「コラッ」と言う大声とともに頭をガツーンと殴られた感じがあり、飛び起きました。ゾッとしました。(まぎれもなく爺さんの声、葬式に出なかったことを怒ってるンや !  )。この不思議な幻覚は、今でもはっきり覚えています。それまで一緒に暮らしたこともなく、接点の少ないひとでした。それが亡くなる前、健康を害してからは、当家や長男(私の叔父)宅を行ったり来たり。祖父はよく文句や小言をいうひとでした。気位の高いひとでもありました。生意気盛りの高校生だった私とは、当然合いません。表だって喧嘩をしたわけではありませんが、何となく疎ましい存在でした。祖母(祖父の妻)とは、とっくに数十年間別居の夫婦状態で、祖母は我が家に身を寄せていました。私と妹は、その祖母が母代わりのようになって育ててくれましたので、そのことも祖父とは合わなかった原因かも知れません。亡くなって「2日後に葬式」と聞いたとき、まだ続いていたテスト優先、葬式欠席を決めてしまいました。「コラッ」頭をガツーン。仏壇に水や線香を供える朝、過去帳の2月24日を開くたびに、この幻覚体験を思い出します。

昨年末、私は仕事場の事務所で、めまいに襲われました。天井も床もグルグル回って立っていられません。このトシでもまだクルマを運転して通勤していますが、その日はとても運転は無理でした。仕方なく娘に運転してもらい、帰宅しました。翌日1日仕事を休み、睡眠をとって回復しました。その翌日、高校2年生になる孫娘がやってきて言うのです。「お爺ちゃん、死なんといてヤー」。意外でした。(へー ? ちょっとは心配してくれてるンや )。また、東京で暮らしている娘夫婦が、年に1~2回家族でやって来ます。今年小学校へ上がる孫娘が東京へ帰るとき、いつも手のひらを掲げて「お爺ちゃん、ハイ・タッチー」とタッチを求めてきます。どうやら、孫達には今のところ嫌われていないようです。行儀・しつけは別にして、教育(宿題も含む)や遊びに口出ししないこと。くどく関わり合いを持たないこと。多少のことは受け流すこと。小学校高学年ぐらいになってくると、両親や祖父母よりも、友達の方が大切になってくる・・・などなど、孫に嫌がられない方策を自覚できるようになりました。これらは、先述の祖父から「反面教師」として学んだことです。こうして孫達とは、良好な淡交関係が保たれています。

祖父とは1回だけ、ふたりで一緒に外出した思い出があります。まだ幼かった頃、祖父と京都御苑 ( 京都のひとは「御所」と言います ) の一般公開見学に同行したことです。祖父に連れられて行った思い出は、後にも先にもこれだけです。どうして私だけが連れられていったのか、いまだに合点がゆきません。祖父が亡くなった時期、高校1年から3年にかけては、私の人生にとって大きな転換点でした。孤独で寂しく、つらく、しかし必死にもがいていました。結果、何とか道が開けたように思います。今日あるのはそのお陰。懐かしい日々です。祖父の命日2月24日には、これらのことを、いつも思い出しています。

右の石垣の内側が京都御苑(=京都御所)



 

 

ひがみ・ねたみ の国民性

もう立春も過ぎてしまいました。柿の木と柚子の木に遅まきながら、忘れていた寒肥を施しました。夏の土用にまた施肥します。今秋も豊かに結実するでしょうか。

毎日、政治のニュースを見ていると、国会議員パーティー券のキック・バック、不記載、何に使ったか ? 統一教会の選挙応援、推薦確認状の授受などなどが報じられています。トーク番組では、議員の年間収支、選挙費用なども明らかにされ始めています。衆議院であれ参議院であれ、過去1期か2期、議員を経験した人物からは、「年間収支カツカツで、秘書給与を支払うのが精一杯」だったとか、「借金が残りました」なんて、何と寂しい話しばかりが聞こえてきます。とにかくケチなお金のレベルの話しです。昭和が終わるころまでは、国会議員とはリッチな職業で、善し悪しは別にして、お妾さんのひとりやふたりぐらいは抱えているもの、国民も(そんなもんだと)許容している風潮でした。みなさん、国会議員に「身の清廉潔白」を求めますか ? 「少々のことには目をつぶって、国を動かす仕事の出来不出来」を求めますか ? 私は、報道機関を含め野党と国民が、国会議員(主に与党の)に「清廉潔白」を求めるあまり、今の日本のチマチマした現状を招いていると嘆いています。人間、自分のフトコロに入ってくるカネ、出て行くカネの惨めさを、毎日体験していると、スケールもその規模に縮んで行きます。震災への復旧支援にしてもケチケチ小出し、作る法案も重箱の隅をつつくようなものばかり。国の向かうべき方向を、大きく導くような高所からのものは見当たりません。この風潮はそろそろ変えるべき時にきています。世界では大国と言われる国のリーダーが、嘘の大義を掲げて隣国に戦争しかけてみたり、行き当たりバッタリ、何をしでかすか分からない幼稚な男が、大統領に選ばれそうになっています。アフリカでは、資源や利権をめぐって民族間での紛争、内戦、人口爆発による食糧危機、人間活動の活発化が導く地球温暖化、宗教教義がそのまま国家の法律に取って変わってしまった国民の悲劇、イデオロギー国家の中央集権権力による国民抑圧、人権侵害などなど、日本の政治が余程しっかりしないと、対処できない問題が頻発しています。そんな状況で今の日本の政治は、あまりにも小さく枝葉末梢にこだわりすぎています。

日本国民には顕著なふたつの特徴があります。ひとつは「おおらかで、和を尊ぶ」民族性です。災害や危機でも、我を押し出さずお互いに譲り合います。その結果混乱を招かず、平穏に収まって行きます。これは世界のひとびとが賞賛する良き特徴です。もうひとつは、これは困った性格で、「ねたみ・ひがみ根性」が抜けないことです。「出る杭は打たれる」の格言通り、他人の幸福・成功が許せないのです。日本人が政治に目覚め、関心が高まるほど、「ねたみ・ひがみ」が頭をもたげてきます。その結果、ドーでも良いような、およそ政治の大義からはほど遠い、細かい事象をさも大事のように、取り上げてしまいます。さらに、政治家にお金が集まるのが許せないのです。大阪を中心に躍進したN政党は、この心理に迎合して、「自ら身を切る政治改革」と称し、「議員の報酬を減額せよ」と訴えています。バカです。ちょっとした民間企業のトップであれば、年収は5千万円や1億円になります。国会議員の経費を差し引いた手取りの年収が、1億円ぐらいあってもイイではありませんか。それくらいの能力を備えたひとに、国政を担って貰わなければ困ります。これは民主主義の必要経費なんですから。加えていつしか、議員の年金制度は廃止されて、退職後の保証はありません。これも議員が優遇されていると言った間違ったヒガミが招いた結果です。これではまともな人間は、国会議員を目指さないことになってしまいます。結果、意欲にあふれたスケールの大きな人材が逃げてしまう職業になってしまいました。国会議員には「立法」と「国政調査」の仕事があるそうです。所が野党がやっているのは「国政調査」の一面ばかり、大臣や行政官のミス・不手際をツツくことにばかりに血道を上げています。前回の衆議院議員選挙で、大阪府T市とS町選出だったT女性議員が落選しました。私はこの人物を「日本人の恥」と思っていましたから、胸が透く思いでした。「有権者は良く見ているナ、捨てたモンじゃないネ」と感動しました。しかし、次の参議院議員選挙に、また立候補し、当選してきたのです。今またあんな人物が、まぎれもなく「日本の国会議員」です。実状、彼女は立法府の議員と言うよりは「プロレスラー」です。国会という国民の面前(リング上)で、大臣、与党議員、行政官をサンドバッグさながら、殴打に殴打することが仕事だと思っているようです。「あなたは疑惑の総合商社と言われていますが、疑惑のデパートじゃないですか ? 」「あっヤバイと思ったんじゃないですか ? 」。・・・ムムム、これが国会審議でしようか ? しかも本人は以前、架空の秘書給与を計上し、フトコロに入れて刑事訴追され有罪判決を喰らっています。それでも ( 恥ずかしげもなく、よくもあんなにプロレスが演じられるなァ ) と呆れます。以前、彼女が所属していた日本S党は、1960年当時自民党と並んで、日本を二分する大勢力でした。それが国家の「大義」や「立法」を忘れ、「国政調査」というプロレスばかりを演じて正義の味方ぶることを続けました。結果国民から飽きられ、その凋落の激しさは目を覆うばかり、いつしか霧消してしまいました。国民はバカではありません。今のすべての野党も、このプロレスラー病にかかっています。自民党がどれほど失敗を重ねても、野党の支持率が上がらないのはそのためです。これに気づかず、立法作業を忘れがちになるのは、「正義の味方ぶる味」が麻薬のような依存症の蜜の味を内包しているからに違いありません。与党議員もカネに困り、ビンボー議員ばかりです。パワーや才能に溢れた議員は、ほとんど見当たりません。この状態は、野党にとってチャンスのはずですが、野党議員もビンボーに慣れて人材不足、国家を担う国会議員全体がビンボー慣れの情けない現状です。国家にまともな指導者がいない状態、これは危険です。国を動かす人材には、スケールの大きな人間が必要です。

私たちは土壌を改良し、肥料を施して豊かな農地を作ることで、良い作物が収穫できることを自然から学んでいます。土壌としての収支が貧困な職業には、豊かな作物果実は実りません。当然その打開策は報酬の引き上げと、退職後の充実した年金です。皆さん、そろそろ、ケチらずに、議員報酬を大幅に引き上げ、議員年金制度を復活して、国会議員をマトモな職業にする以外、手がないのに気づいて下さい。ある程度のコスト高は「当然経費」として受け入れて下さい。ひがみ・ねたみ根性で批判しないようにお願いします。

50年間の逃亡

昭和49年から50年にかけて、連続企業爆破事件にかかわった桐島 聡容疑者が神奈川県内の病院で死亡しました。享年70歳。私より10歳年下、20歳の時より指名手配され、50年間の逃亡でした。重篤な胃癌で入院中、偽名を使っていましたが、「最後は本名で死にたい」との意向で、指名手配中の「桐島 聡」だと病院に告げ、病院からの通報で警視庁公安部により、入院のまま身柄確保にいたったとの報道です。事件当時私は30歳、70年安保闘争のあと学生運動がくすぶり続け、浅間山荘事件など過激派事件が日常だった世相を思い出します。私が学生時代所属していたサークルは、アメリカの広告文化に根ざした大量消費時代の浮かれた学生の集まりでしたが、70年当時部室にはヘルメットとゲバ棒(角材)が山積みになっていたと聞き及びます。真偽不明ながら、サークル幹部の数人は、すんでの所で「よど号ハイジャック事件」に参加し損なったとも聞きました。そんな時代の雰囲気の中で桐島 聡は「東アジア反日武装戦線」に身を置き、連続企業爆破事件の実行犯として、爆弾テロに参加したものと思われます。私が学校を卒業した昭和41年は、その前々年に東京オリンピックが開催され「もはや戦後ではない」と言われた時代でした。それでも卒業後、企業に就職せず、海外に飛び出して行ったり、自力で商売を始めようかという、アナーキーな学生はいて、国家や企業に依存せずにやって行こうと考える奴等が一定割合いたものです。「青年は荒野を目指す」なんて気取りながら・・・。私も就職なんてする気はまったくなく、アルバイトをしながら、学生時代の延長のように暮らしていました。それが実家に引き戻され、借金を背負わされ、銀行や取引先の意向で強制的に社会のルールの枠に組み込まれて、反骨のアナーキー心がなくなっていったのは確かです。所帯を持つと、更に自由を失い、扶養義務、健康保険義務、年金支払い義務などなど、尖っていた部分が削られて、丸味を帯びて行く自身に辟易としていました。この世に生まれ落ちたとき、大自然からプレゼントされた、かけがえのない大切なものが、毎日失われて行く感覚に、歯ぎしりしながら・・・。ほんのちょっとした違いです。あの時私も自由人のままアナーキーに、友人と社会変革なんて議論し、熱に冒されていたら、テロという犯罪に染まっていたかも知れません。学生→就職→企業人へが既定路線と思って生きてこられた向きには、この感覚はご理解できないでしょう。桐島 聡容疑者は死の床で、警察官との会話中に「後悔している」と漏らしたそうです。痛いほど良く分かります。20歳の若気の至り、犯した犯罪で、あとの一生を50年間、逃亡で送る羽目になってしまいました。日本中の銭湯や交番の壁に、自分の顔写真が大きく貼り付けられ、「指名手配犯人 ! 」。胃癌で死期が迫り、最後は「自分の本名で死にたい」。人生の重みと悲しみが伝わってくるのです。

トランプ現象

この所のアメリカ大統領選挙共和党の候補者選びで、世論調査を見れば、ドナルド・トランプの支持率が50%を超えています。対する民主党の候補者は、今の所、高齢のバイデンのみ。いささか心許ない感じです。世界の全員とは言いませんが、多くの人々は内心「えー、またトランプにやらせるの」と思っているのが正直なところでしょう。私はブログで、できるだけ政治問題は避けたいのですが、今日のブログでは、トランプ現象を考えてみます。

イスラエルパレスチナの紛争問題では、トランプは明確にイスラエルを支持しています。これは人道主義的には困ったことになりそうです。どこか知らない遠い国の政治情勢なら構いませんが、アメリカの政治情勢は日本のみならず、世界中に影響します。特にいま戦争が継続しているウクライナとロシアの戦況への影響は懸念されます。とにかくトランプの外交政策は支離滅裂で、方向が定まりません。

錆びたベルト地帯と呼ばれるミシガン湖岸地域など、石炭、製鉄、自動車産業などの労働者に「過去の繁栄復活」を約束し、人気を取る手法が今の高支持率の基となっています。「America First」と叫びますが「過去の繁栄」が「復活」につながるかどうかは、やってみなければわかりません。それは産業の盛衰、時代の流れから見て、時計の針を逆に回転させようとしている試みにも思えます。

20世紀初頭から始まった「共産主義革命」は、農民のため、人民のため、労働者のためを錦の御旗にして、階級闘争として行われましたが、結局行き着く先は専制主義、独裁主義国家でした。国家のリーダーになった者に極端な権力が集中し、封建制国家の王権に取って代わっただけでした。ソヴィエト連邦、中国、北朝鮮、などなど。また、21世紀を迎え、システムとして似た様相を呈しているのが、宗教としてのイスラム主義を標榜する国々です。ドナルド・トランプもこの方式を使えば、人民の支持を得て国を支配でき、やりたい放題をやれることを察知した人物に他なりません。それらは、政治から良識を抜き去り、利害・損得を人民の前にぶら下げて、支持を獲得し、最終的には自身に権力を集中させようとする手法です。もちろん政治に「損得・利害」は付き物、完全に排除はできないものの、「良心・良識」、「全国民のため」という目的は、重要な要素で、「成熟した民主主義」とは、その方向を目指していたのではないでしょうか。20世紀を反省すれば、レーニンスターリン毛沢東金日成といった専横による悲劇が回顧されます。ヒットラーも圧倒的な人民の支持を得て、政治の世界に登場しましたが、その支持の源泉は、不況による貧困、求職難から脱出を願う「人民の損得」「領土拡大」でありました。これらの国家権力集中専横は、社会を変えるという美名のもとに、何度繰り返されてもまだ懲りないのです。

現在世界の、プーチンやシリアのアサドに対抗するため、同じムジナのトランプでやりますか ? それはずいぶん下劣な政治手法ですが。2015年頃から頭をもたげた、トランプ現象を分析すれば、そこに高邁な理論や理想は見られません。トレンドの源泉は「高学歴のインテリ達」を「アンチ・テーゼ」とする労働者達の「損得」エネルギーであります。あるいはプロ野球の応援のように、自他を「味方」と「敵」に分け、「味方」で固まり「敵」を徹底的に攻撃することになります。私は英会話が不得意で、スラング(俗語)などはわかりませんが、報道画面に通訳された字幕では、トランプは「インチキ、バイデン野郎」なんてずいぶん汚い言葉を使っているようです。そこでは政策のカケラも見当たらず、「味方」「敵」となって罵り合うスポーツの応援談義そのものです。太平洋戦争中、シンガポール陥落、南京陥落と喜んで、提灯行列。お祭り騒ぎとなって我が方の優勢を騒ぎ立てた社会の風潮でもあります。利害・損得に左右される政治から、良識で動く政治へと向かうことを希求してきた一部のひとびとにとっては、いつまでも20世紀の政治方式が変えられないまま、動いて行くことに懸念をもちつつ、諦めの気持ちを抱いているのも正直なところです。結局、トランプ現象とは、『政治を「損得・利害」で動かすかどうかの問題だ』との結論に達した次第です。

能登半島地震・遠国遠望症候群

ネットで捜しましたが、能登半島地震の無料画像がなく、蘭の画像でゴメン

「遠国遠望症候群がニッポンを滅ぼす」

元旦の午後に発生した能登半島地震から、半月近くが経ちました。

倒壊した家屋の下から、120時間を経過して救助され、命をつないだひともおられましたが、今は(1月13日現在)もうほぼ、生存救出は無理なようです。正月元旦の午後、大きな地震に襲われ、家屋が倒壊。何とか這い出したものの、一緒にいた家族は倒壊したガレキの下。人力ではとてもガレキは取り除けない。まわりの家屋も同じ状況。どうしよう。はて、困った。道路は寸断されているようだ。救援は来るのか来ないのか。これが能登半島の先端に近い集落の状況でしょう。

私は年に数回、東京へ出かけます。その時いつも、東京という街の変容、民間企業の力量に圧倒されます。〇〇ヒルズなんて巨大なオフィス・ビルがどんどん建設されているのを見るにつけ、地方との決定的な格差を感じます。あのビルの林立と、同じ時代、地震被災者に毛布や食糧が届かない現実。寒さの中で感染症を恐れながら、排泄もままならず身を寄せ合っている被災地のひとびと。巨大都市パワーと過疎地域のこの格差は何なんでしょう。もしかして東京のエネルギーの数%を、被災地へ振り向けるだけで、すべてが解決できるような気がしてきます。しかし、現実の政治は、そうは動きません。自衛隊災害派遣、インフラの復旧、必要物資の輸送。これらは道路の寸断、港湾の損傷などを理由に、ノロい(遅い)のです。私はこれを「遠国遠望症候群」と名付けました。どこか遠い国の出来事を、ひとごととして遠く眺めている状態です。

理由は、「現場」と「司令部もしくは管理部」との乖離にあります。このところ私がこのブログで繰り返し述べてきたことです。今回の地震支援にたいしても ( またか ) と感じます。日本人の多くが、受験(お勉強)→名門大学へ→オフィス・ワークへの就職を、人生の目標としてきたことから、「現場」が遠いのです。同じ企業であっても、「現場」はどこか遠い国のことだと感じているのではないでしょうか。企業は「現場」で動くもの。「司令部や管理部」で動くと考えるのは、本末転倒です。お勉強成績優秀なエリートが中心になって行った太平洋戦争は、失敗の見本例でした。戦いに窮した現場から「食糧が足りない」と打電しても、大本営は「現地調達せよ」。「武器・弾薬・兵員が足りない」には「神軍が一丸となって突撃すれば、勝てる」と応じて、現場の窮状を理解しないのです。インパール作戦で「食糧が足りない」と打電しても、ジャングルや3千メートルの高地にいる兵士に「食糧は現地調達すべし」とは、現場を知らない指令部の「遠国遠望症候群」です。これら司令部の幹部は、海軍兵学校陸軍士官学校を成績優秀で卒業したエリートばかりでした。お勉強が国や組織を動かすリーダーを作るという、間違った考え方の典型でした。しかし、なかには海軍兵学校出身ながら、現場の重要性を知っていた人物もいました。現場の大切さを知っていた山本五十六は、南方戦地現場で指揮を執りつづけ、兵隊と一緒になって戦果を上げました。不幸にもラバウル基地からブーゲンビル島へ向かう時、その情報の暗号文を敵に解読され、搭乗機が狙い撃ちされて墜落死を遂げます。その葬儀が国葬で営まれたことは、彼の行動への高い評価に他なりません。

能登半島地震に関するネット上では、現地視察に入ったひとりの国会議員に対して、他の議員から「迷惑だ」「なにやってんの」と誹謗中傷が飛び交っています。東日本大震災の折、現地入りした当時の菅直人首相に対しても、同じ批判がありました。私の意見は違います。2021年3月13日付けの、私のブログ「菅直人議員の再評価」を読んでみて下さい。湾岸戦争の時、日本人の人質救出に向け、イラクへ交渉に行ったアントニオ猪木参議院議員は、「国会議員は手を挙げて採決に加わるだけじゃないでしょう。国会議員はそういうものだと思っていて行った」と言います。今回、現地入りする勇気もない議員が、交通渋滞などを理由に批判しますが、ヒガミ・ネタミとしか思えません。かって田中角栄という政治家は、自分が生まれ育った新潟という地方が、冬には半年間雪に閉じ込められ、晴れる日がひと月に3日ほどしかない現実に抗い、山を切り開き太平洋側へ道路や鉄道を通しました。この願望は、かって裏日本と呼ばれた日本海側で育ったひとにしか分かりません。そこへ彼が投入しようとしたエネルギーは、半端なものではありません。圧倒的な物量です。今の政治家とは、ケタが違うのです。犯罪は悪いことに違いありませんが、田中角栄ロッキード事件に比べて、パーティー券収入のチョロまかし、野党でも架空秘書へのニセ給与支払いなど、数千万円程度の政治資金規正法違反を見ていると、何と国会議員のスケールが小さくなったモンだと感じます。このスケールの小ささが、救援規模のミミッチさや時間的な小出し、ノロさにつながっているものと感じています。国会議員には年収5千万円ぐらいの収入を保証し(全額生活費に充当できる収入)、引退後は潤沢な年金があってしかるべきです。選挙時のサービス合戦を防ぐために、国費から給与が支給される政策秘書は4人までに制限しましょう。私設秘書を認めてはいけません。選挙はあくまで政策力で争うべきです。そうでなくては2世3世議員か資産家しかできない職業になってしまいます。卑しい根性の議員を排除する方策は、国や自治体の品性を保つために、常に考えていなければなりません。パーティ券収入をチョロまかすような、ミミッちい議員を排除し、正々堂々と持論を展開できる、まともな議員で構成する議会を作ること。今、時流に乗って勢力を拡大しているある政党は「議員報酬を削減し」それを「自ら身を切る改革」と人気取りを狙い、声高に言います。そんなに「自ら身を切る」ことが快感なマゾヒズム的好みのムキは、カミソリで自らの手首を切ってはどうですか。「議員報酬」が、民主主義のコストだと考えれば、今より増やしても、それぐらいの金額は安いものです。それは国の当然の必要経費ですから。

災害が起こると、総理大臣以下閣僚はナッパ服(作業服)を着て、テレビの前に現れます。あれは茶番劇です。東京の官邸にいて、作業服を着て会議をやっている。作業服は作業をするとき着るものです。スーツを着て会議をすればいいじゃないですか。むしろいつものスーツ姿で現地入りし、少しガレキ処理も手伝い、スーツが汚れ、破れて、その汚れたスーツ姿で対面すれば、被災者はその心意気を感じるかも知れません。東京でナッパ服着て会議やっているのを見ると、あれはみんなで冗談をやってるんだと思ってしまうのです。